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エントリー⑪

ペンネーム つよし

 


 

~言葉には人を変える力がある~

3年9か月共に過ごした女性が残した
心の闇を救い人生を変えてくれた言葉


2011年8月12日。
26歳の私に初めて彼女ができた。

彼女は同じ旅行会社に勤める営業成績ダントツ№1の女性。
その女性はたまたま本社勤務となり、

私と同じ営業企画部に配属された。
年齢は私よりも6つ上のマネージャーで、私の先輩社員。

 


関係機関の方や、上司からも一目置かれ、社長からも人気だった女性。
奇跡的にもそんな素敵な人とお付き合いすることができた。

 


当時の私は、障害者雇用で手取り13万2千円。
仕事は100店舗あるお店のホームページの管理と、

メールマガジンを配信をする事。
要は店舗支援の裏方業務だ。

 


その頃の私は自分の意見をはっきり言えないYesマン。
当たり障りのない会話と適当な愛想笑いで

社内の人間関係をやり過ごしていた。

 


一般常識も知らず、スポーツ観戦もしないため、

上司に芸能ニュースの話しや、

野球の話しを振られるのが嫌だった。

 


知らなかったら、

『太田くん(私のこと)は芸能人の〇〇のことも知らんねんなぁ』

と言われるからだ。

 


その度に、常識も知らない、

テレビの事もよく知らない自分はダメな人間なんだと、

自分を責めて嫌な気持ちになっていた。

 


何かあるとすぐに自分を責めてしまう性格だった。

 


あるときメールマガジンの配信内容を間違えてしまった。
こういうときは、すぐ上司に報告しないといけないのはわかっていた。
でも怒られるのが怖すぎて報告までに2時間かかってしまった。

 


幸い上司は優しい方で、

『誰にでもミスはあるし、僕もいっぱい失敗してきたから、

何かあったら僕に言ってな』と言われて終わった。

 


自分の意見が言えず
自分を責めるクセがあり
怒られることに異常に恐怖を感じる

それが彼女と過ごす前の私だった。


―― 2012年2月。
彼女と一緒に暮らし始めることになった。
ここから少しずつ私に変化が訪れる。

 


一日のはじまりは彼女の笑顔とおはよう!から。
私の方が早く仕事が終わったときは、先に帰宅して
洗濯や晩御飯の用意をして彼女の帰りを待つのが日課。

 


帰ってきた彼女はいつも私に、

洗濯物や食事の準備してくれてありがとう!と、

心から伝えてくれた。

 


彼女がくれる言葉はどんなときも私の心を癒し励ましてくれた。

 


散髪をした後は、カッコよくなったやん!と必ず言ってくれる。

外食するときは彼女がご馳走してくれるのに、

ご飯に付き合ってくれてありがとう。と言ってくれる。

 


僕が障害をもっていることをまったく気にせずに一緒にいてくれる。

 


あるとき、気になって聞いてしまった。
『僕は一般的には障害者やけど、そんな僕でもいいの?』と。
彼女はまったくそんな事を気にしておらず、

一緒にいれたらいいよ。と言ってくれた。

そんな生活を続けていくうちに、

少しずつ自分に変化が起きはじめた。

 


今まで私は自分の事を人より劣っている

ダメな人間だと思い込んでいた。
常識も知らない、テレビも見ない、

芸能ニュースやスポーツも観ないから、

会社の人の話しについていけないし、勉強もできないからだ。

 


私は幼い頃から両親に『お前はホンマにアホな奴や!』
と言われ続けてきた影響で、

自分の事をいつの間にかダメな人間だと思うようになっていた。

 


そんな私が、彼女と一緒に生活しはじめたおかげで、

こんな自分でもいいんだ!と思えるように変わっていった。

 


それほど彼女の言葉には力があった。

 


いつしか、この人ともっともっと楽しい人生を

過ごしていきたいと思うようになっていた。

まさか、この想いが人生を狂わすきっかけになるとは、

そのときは気づかなかったけど…


2012年6月
私は、自己啓発のセミナーを受けていた。
会社を辞めてもっと自分がやりがいを感じる仕事で

稼ぎたいと思っていたからだ。

 


今の会社に定年までいても安月給のままだし、

障害者雇用だから退職金も出ないし、

年金ももらえるか分からないから、

このままの人生に不安しかなかった。

 


何より彼女と最高の人生を過ごしたいと思っていたから、

どのみち障害者雇用のサラリーマン生活を続ける気はなかった。

 


自分が本気になれる仕事でしっかり稼いで、

そのお金で彼女と楽しく暮らしたかった。

 


でもどうすればそんな理想の生活が

手に入るのか分からなかったから、

気になるセミナーやプログラムに参加して

自分の人生を真剣に考えた。

 


給料も有休休暇も全部使って、

気になったものは全部参加したけど、

なかなか答えが見つからなかった。


―― 2014年8月
どうしても参加したいセミナーがあって申し込んだ。
それは1年間のプログラムで120万する内容だった。

 


実はその頃、彼女と結婚する予定で、

式場も押さえていたから、

120万のプログラムを受けている場合じゃなかったけど、

どうしても学んでおきたい内容だったから

彼女に内緒で受講してしまった。

 


彼女に勝手に申し込んだことを謝り、

正直に、学びたかったから受けてしまったことを伝えると、

彼女はやさしく答えてくれた。

 


『結婚なんていつでもできるんやし、

それは今しかできひん事なんやからやったらいいやん』

 


その言葉を聞いて泣いてしまった。

 


絶対学んだことを活かして成功してやる!
絶対にこの人を幸せにしよう!
そう心に誓った。


―― 2015年1月
7年務めた会社を退職する準備を進めていた。
3月で退職し、4月からセミナー講師として活動しようと思っていたからだ。
学んだ事をすべて活かせる仕事だと思っていた。

 


1月は私の誕生日で彼女のおかげで最高の一日を過ごすことができた。

 


翌日彼女は仕事で早く家を出たからLINEでお礼を伝えた。
すると、『何もできないけど、ずっとそばにおいてね』と返信をもらった。
そんときは当たり前やん!と思っていたけど…


―― 2015年5月
会社を退職してセミナー活動をしていたけど、

なかなか生活費を稼げるほどの収入にならなかった。

 


日雇いのバイトで生活をつなぎながら、

セミナー活動を続けていたけど、

とうとうお金が底をついて限界が近づいてきた。

 


早く稼がないと!という焦りしかなかった。
稼げない不安で、

『どうしよう、どうしたらいいんだろう』と悩むようになり、

だんだんバイトのやる気もなくなって行かなくなっていた。

 


彼女にはバイトに行くと嘘を言ってミスドで一日潰す日が増えていった。

 


あるとき、彼女にバイト行ってるの?
と、聞かれて『行ってるよ』と嘘をついてしまった。

 


一日何もせずにボーっとしてる事がバレて、

呆れられたらどうしよう。って恐怖があったからだ。

 


当時の私には彼女なしの生活なんて考えられなかった。
万が一にでも、別れることなんかになったら人生終わると思っていたから。


―― 2015年11月
恐れていたことが現実になった。
11月1日、彼女が職場からLINEを送ってきた。

『今月中にアパート出ないといけなくなったから』

起きてはいけない事が起きてしまった。

家賃の支払いは彼女がしてくれていた。
かなり滞納しているようで、

管理会社から連絡があったらしい。

 


すべて私のせいだ。

 


自己啓発セミナーの受講料は彼女に借りていたし、

毎月大阪から東京までセミナーを受けに行くときの

交通費も彼女のお金を借りていたからだ。

 


私は自分を責めた。

 


彼女と最高の人生を過ごすために

自己啓発を学んだはずなのに、

彼女を苦しめることしかしていなかった。

 


きっとずっと耐えてくれていたし、

我慢してくれていたんだと思う。

 


彼女はマンションを出たら、

先輩の家にしばらく住ませてもらう事が決まっていた。
ぼくは何も言えなかった。

 


ただ、これで二人の関係が終わることは分かっていた。

 


最後に、彼女の前で土下座して、伝えたい事を伝えた。

 


もう一回一緒に暮らすことできひんかなぁ

本当はバイト行ってなかったんや。

嫌われるのが怖くて言えへんかってん。ごめん。

また一緒にカラオケ行ったり

旅行いきたいと思ってたんやけど、

ほんまにごめん。

 


泣きながら伝えたけど

彼女の口からは、

『むり。。。』

 


あのときもっとこうしておけば…
そんな後悔しかなかったけど、現実が変わる事はなく
11月21日マンションを出て、

それで彼女との3年9か月の生活が終わった。



―― 2019年11月現在
私は実家の飲食店でトラウマの父親と一緒に仕事をしている。

 


会社員時代の私は
自分の意見が言えず
自分を責めるクセがあり
怒られることに異常に恐怖を感じる
性格だった。

 


この性格は、私が小さいころに父親から
『お前はホンマにアホな奴や』と言われたり

 


暴力を振るわれた経験が

心の奥底に残っていた影響からきているものだという事が分かった。

 


そして自分はダメな人間ではない。

と今では思えるようになった。

 


それは彼女がくれた数々の言葉のおかげだ。

 


彼女と別れて一年ほど友人宅で過ごした後に

実家に帰り、実家の仕事をすることになった。
それが言葉の威力を知る最高の体験になった。

 


実家に帰った当初、

父親と母親に自己啓発の話しや、

彼女と別れた真相の話しをした。

 

 

お前は騙されてたんや!と言われ、

周りの人もみんなお前にやさしくしてくれたんは

お前が障害者やからじゃ!と言われ、

罵倒される日がしばらく続いた。

 


家でも仕事場でも

ずっと怒られっぱなしの生活が辛かったけど、

私は言葉の力で今は元気に過ごせるようになった。

 


彼女が私にしてくれたように、

今度は自分で自分を癒し励ますようにした。

 


毎日家に帰ったらノートに
『今日もがんばったね、お疲れ様』
『何もわるくないよ、ぼくはぼくの事を応援してるよ』
そんな言葉を自分にかけ続けた。

 


すると不思議なことに、

恐怖を感じていた父親の言葉の影響を受けにくくなっていった。
そしてなぜか現実もだんだんと過ごしやすくなり、

私は元気になっていった。

 


そして今ならハッキリと分かったことがある。

 


言葉は人の可能性を
潰すこともできるし
伸ばすこともできる
ということを。

 


幼少期に父親から受けた言葉の影響で

自分はダメな人間なんだと思い込み

彼女の言葉のおかげで

自分は自分でいいんだと思えるようになり

自分が自分にかける言葉を変えたことで

幼少期の思い込みが癒され、自信を通り戻すことができた。

 


私は彼女とは離れてしまったけど、

この人生で彼女に出会えたことを心から感謝している。

彼女との出会いがなければ、

今でも自分はダメな人間なんだと思っていたに違いないからだ。
だから私を変えてくれた彼女には感謝しかない。

 


言葉には人を変える力がある。

 


私がずっとしたかった仕事は、

自分の知識体験を人のお役に立てて稼ぐということだと分かった。

それを実現するために実家の飲食店で働きながら、

少しずつ情報発信をしている。

次は私が彼女のように、

人の可能性を伸ばす言葉をかけられる存在になるために。

おわり。

エントリー⑪

作 つよし


 

 

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