エピソードアワード2018~春~

<読者様から送られた、素敵なエピソードを公開していくコンテストです。>

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エントリー⑩

ペンネーム ぴんくちゃんさん

 


わたしの人生を変えた20日間

 


2015年8月
私は入院することになった

 

 

それは突然起きた
網膜剥離(もうまくはくり)になった
右目が見えにくくなった

 


網膜剥離は、よくボクシング選手がなるもの
コンタクトを使用している人に説明するなら
片目だけコンタクトをつけている状態
コンタクトを使用したことない人に説明するなら
視力検査の時のように片目がふさがっている状態

 

 

それに加えて痛みが加わった状態だった

 


痛くもあり、つらかった
何より怖かった
“もし目が見えなくなったらどうしよう”
という気持ちもあったが、
“いや、大丈夫。必ずなおす!!”
そんな気持ちが入り混じっていた

 


レーザー治療をして目が見えるようになった時は感動した。
視界が広がって、まるで違う世界のように感じた。
私は8年前にレーシック治療を経験したが、まさしく同じ気持ちだった。

 


ありがたかった。嬉しかった。
目が見えることの喜びを感じた。

 


私が喜びを感じたのは、それだけではない。
入院中は、看護師さんや准看護師さんたちにとてもお世話になった。
お世話になりすぎて全員の名前を覚えたくらい(笑)
ほとんどの方が、私と同じ年くらいだったこともあって仲良くなった。

 


車いすでの生活だったから、
お手洗いに行くときは、頼らざるを得なかったのだが、それがまたよかった。

 

車いすを押してもらっている間、たくさんお話出来た。
みんな笑顔だった。
たくさんの“ありがとう”を伝えた。

 


また、親には本当に感謝した。
私の母は自営業をしている。

 

私が入院したのは8月。
この8月という時期がとてもよかった。
お盆休みだったからだ。

 

 

毎日のようにお見舞いにきてくれた。
初めての入院でわからないことだらけだったから、本当に助かった。

 


私は運がいい。
もし、網膜剥離になった場所が目の中心ならば即手術だった。

入院していた病院では、手術が出来ないため。
病院も移動しなければならなかった。

 

 

せっかく仲良くなった看護師さんや准看護師さんとも離れなければならなかった。
幸いにも網膜剥離になった場所が目の端だったため、
レーザーの治療ですんだのだ。

おかげさまで、たくさんの方ととても仲良くなれたのもある(笑)

 


私は運がいい。
もし、入院した時期が8月ではなかったら、
いそがしくて母は病院には来られなかった。

 


これまで私は健康なんて当たり前。
そう思っていた。

 

 

でも、、、、

 

 

違った。

 

 


健康だからこそ、様々なことを楽しむことが出来るのだ。
私が好きな旅行・ショッピング・友人と話すこともそうだ。

私は“ありがとう”という言葉が好きだ。
ありがとうと言う字は漢字で“有難う”と書く。
私はこの入院生活のなかで“難があるからこそ有り難い”
ということを感じることができた。

 


初の入院が20日間にもなるなんて思いもしなかった。
でも、20日間も入院出来たからこそ、有り難さを感じることが出来た。
“有難うの反対の言葉は当たり前”ということを聞いたことがあるが、
それまでは、まさに当たり前の生活を送っていた。

 


目が見えることの有り難さ、
目をみて話せることの有り難さ、
歩けることの有り難さ(車いす生活をしていたため、これも思う)。

 


そして、これら全てが
“健康でいられることも有り難さ”
に繋がる。

 


わたしの人生を変えた20日間。
こんなにも有り難さを感じたことはなかった。
そういう意味で“わたしの人生を変えた20日間”だった。

 


私はこの20日間をずっと忘れない。
「経験できて本当によかった」

 

今でも本当にそう思っている。

 

 

エントリー⑩

作 ぴんくちゃん


 

 

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