ザンジバルの「ザ・ロック」レストランをバスで発つと、今日の、というか、今回のタンザニアの旅の旅程はすべて終わりだ。
後は、ホテル「パーク・ハイアット・ザンジバル」(写真)に戻って、自由時間だ。
街で目立つ日本語を車体に書いたままの車
ホテルまで街中を走っていると、車窓の外に車体に会社や旅館、学校などの日本語の名前が書いたままのマイクロバスや小型トラックが目に留まる。以前に、南樺太でも見かけたものだ。日本から輸出された中古車の車体が、塗り替えられもせず、そのまま使われているのだ(写真)。
ホテルに着くと、3時半頃だ。いくらなんでも、夕食までこのままゴロゴロしていてもつまらないし、もったいない。
僕は、ストーンタウンの街中を歩くことに決めた。ただ、細い路地の入り組んだ迷路なので、あまり奥深くには入り込めない。
迷路の中を外観を記憶に留めつつ歩く
着いた日に観た今は博物館になっているフレディ・マーキュリーの生家が面する、自動車も通れる、高級スーベニア・ショップの連なる通りから、路地に入る。
もう雑多なお土産品を売っている(写真)。ここでは、値札が付いていない。すべて売り子との相対での価格交渉で決まるのだ。
僕は、タンザニアの国旗の付いたキャップを自分用に買い、別の店ではマグネットや絵葉書を買った。
角に出くわすたびに、左右の建物の外観を記憶に留めて進んだ。
残念! からゆきさんの元住居はすぐだったのに
教会らしい建物に出た。ローマ・カトリック教会らしい(写真)。そこからさらに進むのはさすがに躊躇われた。
帰国後にガイドブックの地図を調べて、ちょっと残念な思いをした。ローマ・カトリック教会からもう少し中に入ると、「からゆきさん」の住んでいた住居があったらしい(からゆきさんについては、9月1日付日記:「タンザニアの旅(32):オールド・フォートや『驚きの家』など観る、『からゆきさん』のこと」を参照)。ネットで探した写真を下に掲げておく。見た感じは、何の変哲もない住居だ。
絵を売る人たちがあちこちに
ところで、この路地でもあちこちで絵を売っていた(写真)。地元の無名の画家が、あるいは職人が描いた絵の販売は、セレンゲティ国立公園外の店でも、他のどこでも、ちょっと他国では見られない密度で見かけした。これも、タンザニアらしい露店風景だ。
僕は、元の道を戻り、旧港に出た。
(この項、続く)
昨年の今日の日記:「ニュージーランド、ミルフォード・トラックの3泊4日のトレッキングの思い出」