​ 約1万2000年前にチグリス川の上流近くで亡くなった女性は「シャーマン」だったかもしれないと推定させる研究が、2024年7月9日付けフランスの学術誌『L'Anthropologie』に発表された。


先土器新石器時代A期の埋葬​

​ 女性が埋葬された時代は、農耕が発達する少し前の「先土器新石器時代A期(PPNA)」(紀元前1万年~紀元前8800年頃)だ。場所は現在のトルコ南西部のチェムカ・ホユック(トルコ語で「水辺の塚」)遺跡で、女性は様々な動物の骨とともに埋葬されていた(写真)。​

 

 

​ チェムカ・ホユック遺跡は、ほぼ同年代の世界遺産ギョベックリ・テペ遺跡(写真=「世界最古の聖地」と言われる)の東240キロメートルほどのところにある。​

 

 

 この時代の人々は、まだ農耕は行っていなかったが、初期的定住化を始めていて、遊動生活をする中石器時代人と同じく基本的には狩猟採集民で、土器はまだ発明されていなかった。パレスチナのイェリコや、ギョベックリ・テペ遺跡では、すでに定住する集落を形成していた。


様々な動物を副葬​

​ 今回報告された女性の推定死亡年齢は25歳~30歳、死因は自然死で、泥レンガ造りの建物の床下に埋葬されていた。近くの建物の下には、他に14人が埋葬されていた。​

 住居の床下に死者を埋葬するのはPPNA期では一般的だが、考古学者が驚いたのは、女性の墓が大きな石灰石の塊で覆われていたことだ。この時代の埋葬としては珍しい。

 墓の発掘を進めると、さらに考古学者を驚かせる発見があった。女性の体の上に、オーロックスの頭蓋が置かれていたのだ。下顎は頭蓋から外され、女性の足元に置かれていた。他にもヤマウズラの翼やテンの脚、ヒツジやヤギなど、動物の骨が墓穴のあちこちに置かれていたとみられる。


食の重要性を示すか、オーロックスの骨の多量の存在​

 この女性が埋葬されたのは動物家畜化がなされる前なので、これらの動物は野生個体だったはずだ。同論文の筆頭筆者で考古学者のアルギュール・コダッシュ博士(トルコ、マルディン・アルトゥクル大)とそう指摘する。。博士によると、「オーロックスの骨が多いのは野生のウシの重要性を示すもので、ウシが家畜化されるのは数千年先だが、当時すでに住民の主要な食用動物だったことを示すという。

 霊魂と交信する人を意味する『シャーマン』という言葉が使われるようになったのは18世紀で、シベリアの先住民の慣習を説明するためだった。だからチェムカ・ホユック遺跡に埋葬された女性をPPNA期の『シャーマン』と説明するのは正しくないかもしれない、と釘を刺すのは、イギリス・オックスフォード大学の考古学者でPPNA期研究の専門家であるビル・フィンレイソン博士だ。
 

PPNAのほぼ同時代にイスラエルでも

​ 同博士によると、「シャーマン」または「魔術師」と先行研究が表現したイスラエルのヒラゾン・タクティット洞窟に埋葬された、これも約1万2000年前の推定死亡年齢45歳の女性との類似点から、PPNA期の埋葬の中には「シャーマンのような」とされる女性の埋葬が行われていた可能性はあるという。ちなみにヒラゾン・タクティット洞窟の女性は、数十個のカメの甲羅や、切断された人間の足、ヒョウの骨盤、イヌワシの翼とともに埋葬されていた()。​

 

 

 PPNA期は、氷河期が終わり、野生植物種子の採集による定住村落の始まりという環境と社会に大きな変化が起きた時期で。見えない力と交信できるという人々、つまり「シャーマンのような」女性の重要性が増したのかもしれない、とイギリス、レディング大学の考古学者で今回の研究には参加していないスティーブ・マイズン博士は指摘する。


農耕が始まる少し前、人類の社会の重大な過渡期に活躍か​

 この時代の人々は定住化や作物栽培、牧畜など、新しい生活様式や新しい技術を試していた。そのため不安や不確実性が高まり、シャーマニズム的行為への傾倒を強めていったのではないか、とも推定する。

 先史時代の社会では、儀式と信仰が重要な役割を果たしていた。チェムカ・ホユック遺跡の埋葬から、それに女性が深く関与していたこともうかがえる。


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