羊ヶ丘展望台は、札幌市の南郊外にある広大な丘陵地で、明治に農商務省月寒種牛牧場として開設された。その後、種羊場として発展し、ウシやブタ、ヒツジを飼育し、品種改良する研究施設として発展した。


放牧地にヒツジがいないのが残念​

 バスの中の解説で、どこまで本当か知らないが、旧札幌農学校の恵迪寮寮歌『都ぞ弥生』歌詞の2番に「羊群声なく牧舎に帰り 手稲の嶺(いただき)黄昏(たそがれ)こめぬ」とあるのは、ここを詠んだというが、札幌農学校からは離れ過ぎているのではたしてどうか。

​ 羊ヶ丘展望台は、眼前に美しい緑の牧草地の広がるところだった(写真)。僕には2度目だが、最初に来たのはもう何十年も前なので、ほとんど記憶に残っていない。​

 

 

 夕方に近かったので、放牧地にヒツジがいなかったのは残念だった。

 ここの呼びものは、いかにも北海道らしい広大な牧場だが、そこにヒツジがいないのはまさに画竜点睛を欠く思いだ。


クラーク博士は羊ヶ丘と何のゆかりも無いのだが​

​ そしてなぜかここに、初代札幌農学校教頭のウィリアム・クラーク博士像がある(写真)。「なぜか」と言ったのは、この場所にクラーク博士は何のゆかりもないからだ。​

 

 

 

 クラーク像と言えば、札幌農学校の後身である現在の北海道大学のクラーク会館前、中央ローンの西端に胸像のクラーク像がある。ただし、胸像なので、小さくて見栄えはしない。

 ネットで調べると、このクラーク像とポプラ並木を観に、北大構内に多数の観光客が押し寄せ、観光公害の様相を呈したため、北大当局が観光バスの構内乗り入れを制限し、観光客が観られない事態が生じたことを憂えた札幌市観光協会が広大な羊ヶ丘展望台の一角に堂々とした立像を建て、観光客を呼び込みつつクラーク博士を顕彰しようとしたもののようだ。


中国人観光客らしい団体が乗り付けてきた​

 1976(昭和51)年4月16日、北大開基100年とアメリカ合衆国建国200年を記念し、クラーク博士像『丘の上のクラーク』の除幕式が行われたという。ちなみにこの年は、クラーク博士来道100年であり、またこの日は100年前にここから20キロほど南東の島松で、博士が見送りにきた農学校生徒に、別れの言葉「ボーイズ! ビー・アンビシャス」と叫んだ日でもあるらしい。

 そのクラーク博士像は、やはり羊ヶ丘展望台の一番人気で、観光バスが来るたびに観光客が像の前で記念写真を撮る。折悪しく中国人観光客らしい団体が着いて、次々と像の前で何度もポーズをとる。写真撮影は、彼らがいなくなるのを待たなければならなかった。

​ その間、こじんまりした「クラーク記念館」(写真)やその他を覗いて回った。​

 


すぐ近くに銀色に光る札幌ドーム​

​ 牧草地の向こうに銀色に光るのは、かつての日本ハムの本拠地だった札幌ドームだ(写真)。​

 

 

 市街地を超えて、ドームのはるか向こうにうっすらと見えるのは、手稲山連山だろう。

 その他、いくら探しても見えないものがある。野幌森林公園の北海道百年記念塔だ。老朽化が激しく、残念なことに昨年解体されてしまったという。それは、翌日に野幌森林公園に行って、自分の目で確認することになる。

(この項、続く)


昨年の今日の日記:「トランプ前大統領の起訴で共和党内の支持率上昇という不健全極まる状況;共和党の自浄作用望む」