​ 北海道知事公館を観た後、敷地内の鬱蒼とした森を抜けて北東隅の北海道立三岸好太郎美術館に行った(地図)。​

 


31歳の若さで没​

 前日は、時間がなく外観しか観られなかったが、今日はまだ時間は十分にある。個人美術館なので、さほど広くはあるまい。

 三岸好太郎は、明治36(1903)年に札幌で生まれ、昭和9(1934)年に31歳の若さで没している。

 道化シリーズや「のんびり貝」で代表される貝のシリーズなどで知られる。画家生活は短かったが、戦前のモダニズムを代表する画家と評価は高い。

 ただ結婚した同じ洋画家の三岸節子が長生きし、多くの絵を残したため、節子の方が世間では有名かもしれない。


妻の節子が好太郎の遺作200余点を一括して北海道に寄贈​

 三岸好太郎美術館が創設されたきっかけは、好太郎の死後、節子が遺作200余点を一括して北海道に寄贈したことによる。そのおかげで散逸を免れ、個人美術館の基になった。

​ 最初は1967年に北海道立美術館三岸好太郎記念室として開館、10年後に道立三岸好太郎美術館と改称された後、1983年に現在地に移転した(写真)。知事公館西隣にある道立近代美術館の分館なので、両館の通し券も販売している。​

 

 

 建物は、東京・中野の好太郎・節子が造った三岸アトリエを模して造られている。


充実した内容​

​ 入館すると、1階と2階に7つの展示室がある。三岸好太郎の圧倒的な作品群だ。印象に残るのは、道化のシリーズだ(写真=「面の男」、1928年)。このうちの1枚は、つい最近の日経日曜版の「美の粋」で観たばかりだ。​

 

 

​ 三岸は、代表作「のんびり貝」(写真=1934年)のように、大きなシャコ貝も好んで描いた。​

 

 

 道立近代美術館のように館内撮影禁止なので、どうしても印象が薄れてしまう。

 1つだけほうっと思ったのは、『新選組始末記』で有名な作家の子母沢寛は三岸好太郎の異父兄に当たることで、彼を描いた絵も展示されていた。

 三岸好太郎の熱烈なファンではないけれど、充実した内容に満足感はいっぱいの参観だった。

​​​ なお下の絵の写真は、館内で販売していた絵葉書を撮ったもの。が「檸檬持てる少女」(1923年)、が「大通公園」(1932年)である。​​​

 

 

 

(この項、続く)


昨年の今日の日記:「90光年彼方の系外惑星、近接する大型惑星による潮汐力で活発な火山活動か」