​ 旧約聖書の最初の書物『創世記』に書かれた、天から降り注いだ硫黄と火によって滅ぼされた街ソドムとゴモラの話は、実はパレスチナの地に古くから言い伝えられた伝説を採録したものかもしれない(写真=19世紀のイギリス人画家ジョン・マーティンの描いた『The Destruction of Sodom And Gomorrah(ソドムとゴモラの崩壊)』)。​

 


紀元前1650年頃に起こった?​

​​ 科学者たちは、死海の北西、現ヨルダンのテル=古代都市遺跡「タル・エル=ハマム」(Tell el-Hammam、テル・エル=ハマム;写真地図(↑印がタル・エル=ハマムの位置で、地図左下が死海))の今も続く発掘調査で、青銅器時代中期の紀元前1650年頃に巨大隕石の空中爆発(エアバースト)によって、古代都市が破壊されたという研究結果を発表した。​​

 

 

 

 年代的には『創世記』に書かれた時期と大きく矛盾しないし、また隕石のエアバーストなら古代都市など一瞬に崩壊しただろうから、『創世記』の「ソドムとゴモラの滅亡」の記述にも合う。

 隕石によるエアバーストというと、2つの実例が思い浮かぶ。
 

巨大隕石のエアバーストだったツングースカ爆発​

 1つは今から1世紀以上前、帝政ロシア期の1908年にシベリアで発生した隕石が空中で爆発してタイガ樹林が約2150平方キロもの広範囲になぎ倒された「ツングースカ」大爆発事件、もう1つは同じロシアだが、ずっと最近の2013年2月の「チェリャビンスク」隕石爆発だ。こちらの方はツングースカよりもずっと小規模だったが、人が住む街の上空で爆発したために、爆風によって大きな被害が起こった。

 ツングースカは、人跡未踏の辺境地で、ロシアがその後に第1次世界大戦とロシア革命に見舞われたために、しばらく調査も行われず、タイガがなぎ倒された跡くらいしか分からなかった。直径50メートル程度の巨大隕石(ミニ小惑星)が空中で爆発し、その威力は5メガトン(広島型原爆の約200倍)の核爆発ほどだったと推定された。


タル・エム=ハマムを襲った隕石はツングースカよりも大きかったか​

 幸いにもツングースカが人のほとんど住まないタイガで起こり、チェリャビンスクは都市上の高空での爆発だったが、元の隕石の大きさは10メートルちょっとと小さかった。それでも死者こそ出なかったものの多数の負傷者と建物の破壊被害が起こった。

​​​ それからすると、タル・エム=ハマムは、ツングースカよりも大規模だったかもしれない。今も発掘を続ける調査団は、厚みが数メートルにも達する宮殿建物崩壊層や土器表面が高熱を受けてガラス化していた遺物、衝撃で結晶構造が崩れた衝撃石英などを確認している(写真は宮殿の復元想像図;は発掘区)。​​​

 

 

 大火や大地震では説明できないほどの高熱と破壊を受けた証拠という。


批判もあるが、事実だったら人類の受けた最大の天体衝突事故​

 科学者たちの推定によると、当時も極端に塩分濃度の高かった近くの死海の水が大規模に蒸発し、付近に大量の塩をまき散らし、この塩害で600年近く人が住める環境は失われたという。実際、タル・エム=ハマムの崩壊以後、長期間にわたって付近から遺跡が消えている。

 むろんこのカタストロフィー論は、旧約聖書の『創世記』の記述と絡めていて興味深いだけに、考古学界の一部から厳しい批判も受けている。

 だが、もし調査団の推定が事実であれば、これは人類が受けた最大の天体衝突事故ということになる。エアバーストの爆発規模は広島型原爆の1000倍規模とも言われる。

 だがこの程度のミニ小惑星=巨大隕石なら、地球近傍に無数にある。NASAの推定では、直径が140メートル以上の地球近傍小惑星は2万5000個ほどもあり、うちの約1万4000個がまだ発見されていないというのだ(4月14日付日記:「地球防衛計画のDARTを衝突させ軌道を変えた小惑星衛星『ディモルフォス』が将来火星に300メートルのクレーターを造る?」を参照)。

 つまりタル・エム=ハマムの「悲劇」は、決して絵空事ではないのかもしれない。


昨年の今日の日記:「函館の旅(5):土方歳三最期の地=一本木関門を訪ねる」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202305060000/​