これまでほとんど注目されなかったメソアメリカ、グアテマラの熱帯雨林の中の落ち葉と石の塊に埋もれた遺跡から、ヒスイを組み合わせて作られた仮面と線刻された骨などが見つかり、マヤ文明の中の暗黒の時期に光が当てられようとしている。

 それが、チョチキタム遺跡である。見つかった遺跡は、マヤの地方都市の王墓だと思われる。

 この発見から、1700年近く前の古典期初期のマヤ文明における篤い信仰と王位継承の実態が浮かび上がってくる。それだけでなく、この時代のマヤの王族が、マヤよりもさらに強力なメソアメリカの王朝の支配下にあった可能性があるという説の信憑性を高めそうだ。


王のピラミッドと埋葬の発見​

 チョチキタム遺跡とその歴史は、時の経過による荒廃と生い茂った熱帯雨林にはばまれて、長い間謎に包まれていた。遺跡のあるペテン県は、グアテマラ北東部に位置する低地帯で、メキシコとベリーズに挟まれている。遺跡自体は20世紀初頭から知られていたが、マヤ文明とのつながりについては、ごく最近まで分かっていなかった。

 理由の1つは、遺跡形成の年代にある。マヤ古典期は紀元250年~900年頃で、マヤ文明の最盛期と重なる。ただこの時期の文献はほとんど無く、その栄光のほとんどは盗掘で失われてしまった。

 実際、チョチキタムも盗掘者の餌食になっていた。2021年に、レーザー光線による測距技術である「ライダー(LiDAR)」を使った調査では、遺跡の中心である王家のピラミッドと思われる建造物に、盗掘用のトンネルが掘られていたことが分かった。


墓を掘り進むと現れたヒスイなど​

​ しかし、調査を主導したアメリカ、テュレーン大学メソアメリカ研究所のフランシスコ・エストラーダ゠ベリ教授(考古学)らは、盗掘者たちが見逃した場所があることに気づき、発掘調査を行った(写真=調査を率いた考古学者フランシスコ・エストラーダ゠ベリ教授が、チョチキタム遺跡の墓の予備調査を始めるところ)。

 

​​ ピラミッドを7メートル以上も掘り進んだところで、同僚のジロン博士が頭蓋骨と何本かの歯、そして家形の石の箱を見つけた。箱の上部は壊れていたが、エストラーダ゠ベリ教授は副葬品を見つけた。壺、巨大なカキの殻を組み合わせたもの、いくつかの骨の破片、そして、美しいヒスイが丁寧に並べられていた(下の写真の上=王の骨とともに、王が男性であったことを示すエイのトゲ、ヒスイのモザイクで出来た仮面など様々な遺物が見つかる;下の写真の下=見つかった遺物の復元品)。​​

 

 


王にふさわしいヒスイの仮面​

​ 2022年6月下旬、研究室に戻ったエストラーダ゠ベリ教授はヒスイに注目した。これは考古学者がテッセラと呼ぶもので、他のマヤ王墓では、王族を埋葬する際のモザイクの仮面に使われてきた。神や先祖の象徴として、埋葬者の富や権力を表していることが多い(写真=丁寧に洗浄した後のヒスイのピース)。​

 

 

​ 何度かヒスイのタイルを動かすと、渦巻き状の目と鋭い歯を持つ顔が出来た(写真)。​

 

 

​ また目ざとい同僚が、墓の主のものと思われた骨の一部に、黒曜石で刻んだと思われる細かい彫刻に気づいた。骨のうち2つは埋葬された王のものではない副葬品であることが分かったが、その彫刻から支配者である王の身元が明らかになった。その彫刻に描かれていたのは、マヤの神の頭を掲げる支配者だった。それは、エストラーダ゠ベリ教授がよみがえらせた仮面の神そのものだった(写真)。​

 

 


王の名は「イツァム・コカジュ・バフラム」​

 それにしても、この王や神は何者なのだろうか。

 エストラーダ゠ベリ教授は、アラバマ大学の考古学者で、マヤの碑文に詳しいアレクサンドル・トコビニン氏の協力を得て、彫刻の解読にあたった。そして、謎の支配者と神の身元が明らかになった。支配者は、「イツァム・コカジュ・バフラム」(「太陽神/鳥/ジャガー」の意)。そして渦巻く神は、考古学者たちにヤクス・ワヤーブ・チャウクG1(「最初の魔術師 雨の神」の意)と呼ばれている存在で、マヤの嵐の神だった。

 エストラーダ゠ベリ教授は、この発見は「きわめて珍しい」と言い、まだ明らかになっていない時代や場所の貴重な情報源になるだろうと述べている。


地方の王は中央のもっと強力な王権に従っていた​

 墓から見つかった香や骨の放射性炭素年代測定を行ったところ、イツァム・コカジュ・バフラムは、紀元350年頃のチョチキタムの王だったとみられることが分かった。

 埋葬の場所から、その主がエリート階級や王権を持つマヤの支配者であることは明らかだ。しかし遺跡で見つかった工芸品や建造物から、当時の地方指導者の多くはさらに強力な王に従属していたという説の信憑性が増している。また、この遺跡から見つかった品の中には、他の強力なメソアメリカ都市で見つかった品を思わせるものもある。

​​ イツァム・コカジュ・バフラムが、より強大なティカルやテオティワカンの影響下にあったマヤの王だったことは明らかだ、とエストラーダ゠ベリ教授は見る。古代メソアメリカの都市テオティワカン(下の写真の上)は現在のメキシコにあり、マヤの都市ティカル(下の写真の下)は同じペテン県にある。どちらも、僻地と言えるチョチキタムよりも大きく、影響力も強かった。​​

 

 


ティカルに直接隷属し、テオティワカンには間接的に隷属​

 遺跡からは、イツァム・コカジュ・バフラムが隷属的な地位にあった証拠は見つかっていないが、状況から考えてティカルには直接的に隷属し、テオティワカンには間接的に隷属していたと思われるという。

 チョチキタムの王たちの詳細や、謎につつまれたマヤ古典期初期の強力な支配者たちとのつながりについては、まだわからないことが多い。

 エストラーダ゠ベリ教授らは、遺跡で見つかった骨の古代DNA調査や、打ち捨てられたピラミッドからさらに宝が見つかる可能性など、あらゆることを調査し尽くすつもりだ。


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