一昨日、東京の桜が開花した。ただ靖国神社の標本木がやっと11輪咲いただけだが、昨日からは俄に暖かくなったので、これから開花も一気に進むだろう。

​ さて桜と言えば、僕は観たことはないが、ポトマック河畔タイダル・ベースンの桜は(写真)、アメリカの首都ワシントンの春を告げる花でもある。開花シーズンには、毎年150万人もが訪れるという。この桜の植樹式が行われのは、1世紀以上も昔の1912年のことだ。​
 

 

明治から大正にかけてたびたび来日、多くの記事を書き写真を撮る​

​ ここに日米親善のために桜を植えることを提唱したのは、アメリカ人の作家、エリザ・シドモアである(写真)。​

 

 

 

 シドモアは、1885年から1928年にかけて、度々日本を訪れた親日家の著作者・写真家で、日本に関する記事や写真も多数、残している。

 日本の桜を観て感動し、最初の年から約30年間、その間に6度交代した政権に、日米親善のためにタイダル・ベースンに桜の木を植えるよう訴え続けた。願いが聞き届けられて1912年、大統領夫人のヘレン・タフトが3000本の桜の最初の1本を植樹した時、シドモアも立ち会った。


初のナショナル・ジオグラフィック協会の女性理事​

 ただの旅行者だったら、シドモアの声も政権には届かなかったに違いない。

 その頃には、ニューヨークタイムズ紙など全米の新聞に寄稿する売れっ子記者となっていて、著名ライターとして寄稿していた「ナショナル・ジオグラフィック」誌の発行元であるナショナル・ジオグラフィック協会の初の女性理事にも選ばれたほどだった。ちなみに彼女は、同誌初の女性記者、女性写真家だった。


深く日本社会に入り込み取材​

​ 彼女が、これほど日本に夢中になったのは、「ナショナル・ジオグラフィック」に掲載された写真が物語るように(写真)、深く日本社会に入り込めたからである(東南アジア各国にも旅行して、記事を書いている)。幸運も幸いした。初訪日した1885年(明治18年)は、まだ開国したばかりだったが、兄が駐日アメリカ外交官だったため、いろいろな伝手や情報を得ることができた。​

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、今日では彼女の功績は、日米でほとんど忘れられている。女性の生涯が夫の物語の脚注として扱われていた時代に、シドモアが独身を貫いたことにも関係しているのではないかと考えられている。


遺骨が横浜に送られて埋葬

​ 1928年11月3日、シドモアは72歳でスイスで死去した。シドモアの遺骨は彼女の母と兄が眠る横浜の外国人墓地に埋葬された(写真)。​

 

 

 桜の名所でもある横浜の外人墓地に、彼女の墓があることを僕は最近知った。横浜市民なら広く知られているのだろうが、横浜市民ではないので最近まで知らなかったのだ。

​ ここにはシドモアの墓の傍らに、1991年にポトマック河畔から「里帰り」した桜が植えられ、「シドモア桜」と名付けられている(写真)。​

 

 

 外国人墓地には簡単に立ち入れないが、機会があれば訪れてシドモアの墓に詣でたいと思う。


昨年の今日の日記:「太陽の30倍も重い1万5000光年離れたウォルフ・ライエ星の一種、間もなく超新星爆発」