テロ国家ロシアの心臓部の首都モスクワで、久々のイスラム原理主義テロリストによる無差別テロが起こった。

​ 22日夜、モスクワ北西郊外のクラスノゴルスクのコンサートホールで(地図=右側の環状道路の取り巻くモスクワ中心部から北西方、地図上の左上がクラスノゴルスク)、複数のテロリストによる銃乱射事件があり、当局によると133人が死亡、数百人が負傷した(写真=襲撃のあったコンサートホールと炎上した建物)。​

 

 

 


過去に多数の犠牲者出すイスラム原理主義テロリストによる攻撃が多発​

​ ロシアで起こったイスラム原理主義テロリストによる大量の人質を取ってのテロ攻撃では、2002年10月に起こったチェチェン独立派による首都モスクワの劇場占拠事件で人質129人が犠牲になった事件(犯人たち42人も死亡)と(写真=20年10月に劇場の外で犠牲者の写真を掲げて開かれた追悼集会)、2004年9月のやはりチェチェン独立派による北コーカサス地方の町ベスランの学校を占拠し、1000人以上の生徒、保護者、職員を人質に取った学校急襲事件が大きい。この事件では、少なくとも334人の子どもたちが死亡し、ロシア・ソビエト史上、最大級の犠牲者を出した。​

 

 

 その他にもプーチンの権力掌握以来、散発的に、時には2桁の死者を出すテロ事件が起きているが、クラスノゴルスク・コンサートホール事件は、3桁の犠牲者を出した点で、前記2大テロ事件と並ぶ惨事となった。


ウクライナ関与をほのめかし自己の失態を取り繕うプーチン​

 このテロ攻撃事件で最も大きな痛手を受けたのは、21日にエセ大統領選挙で「圧勝」したばかりの独裁者プーチンであろう。国内の異論・反対を封じ込み、ウクライナ侵略戦争に全力を傾注している足下で、このような大規模テロが起こり、それを防ぐこともできなかった。面目丸つぶれの大失態である。

 そのせいか即日、テロへの非難声明を出せず、出したのは翌日23日となった。その間、自らの失態を糊塗するため、ウクライナの関与をほのめかすような卑劣な一言を加えたが、ウクライナのゼレンスキー大統領からは一蹴された。

 ウクライナがイスラム原理主義テロリストと共闘する意義は全くなく、罪のなすりつけであるのは明白だ。


ISが下手人の4人の写真を公開​

​ クラスノゴルスク・テロ事件では、即時にイスラム原理主義テロリスト「IS(イスラム国)」が犯行声明を出したことが、海外メディアで伝えられたが、IS系のニュースサイト「アーマク通信」が23日、実行犯とするISの戦闘員4人の写真を公開した(写真)。また、「ロシア中心部でキリスト教徒数百人を殺傷」し、「ここ数年で最大の打撃をロシアに与えた」と主張した。​

 

 

 写真はISの旗を背景に黒いマスクや帽子を着用した4人の男性が映っている。アーマク通信によると、4人はマシンガンやピストル、ナイフ、爆弾を所持し、コンサートホールに侵入。3人が銃撃する間に1人が爆弾を仕掛け、この攻撃で300人以上を殺傷し、ホールの3分の2を破壊したと主張している。

 

ロシア南部に多いイスラム教徒と過去には熾烈な内戦​

 かつてシリアとイラクの過半を支配したISは、アメリカによるテロ掃討戦と2019年10月の指導者アブ・バクル・アル・バグダディのアメリカ軍の軍事作戦で壊滅同然に陥ったはずなのに、アメリカではなく、なぜロシアを攻撃対象に選んだのだろうか。

 報道されていないが、最近でもロシアの北カフカスではISの攻撃があったという。

 もともとロシアには、北カフカスやヴォルガ川中流域など南部にイスラム教徒が多く、ロシア全体ではイスラム教徒が5%ほどいる。

 2次わたってロシア軍との熾烈な内戦を戦った(第1次チェチェン戦争=1994~1996年、第2次チェチェン戦争=1999~2009年)チェチェン共和国の住民チェチェン人もイスラム教徒(スンニ派)である。


ウクライナ侵略戦争抱えるプーチンにISテロは厄介な事件​

 ロシア正教のロシア人とは、決して親密な間柄ではない。しかもプーチンのロシアは、スンニ派と対立するシーア派の原理主義国家イランと共にシーア派に近いアサド政権に荷担し、シリア国民への空爆で大虐殺を行っている。スンニ派のISの、ロシアへの恨みは深い。

 長い間、世界から隠れていたISにとって、今回のクラスノゴルスク・コンサートホール襲撃テロは、自らの復活宣言と存在意義を高めるための宣伝だった可能性が高い。

 ウクライナ侵略戦争を抱えるプーチンにとっては、へたに国内のイスラム教徒を刺激するのは避けたいだろう。

 ISのつけいる隙は十分にあったのだ。


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