ヒト族(ホミニン)の進化とその種分化については、いまだに多くの謎に包まれている。ただ、それも後期更新世の4万年前頃までで、それ以降は地上のヒト族はホモ・サピエンスだけになったと思われ、ある意味、人類の態様は単純になった。


あるミステリー小説のテーマとなった異種人類説​

 まして1万1700年前以降の完新世となれば、ヒト族はただ1種、ホモ・サピエンスだけとなっているから、自然人類学上のヒト族種について「謎」はまずない、と見られている。

 過日、科学ミステリー『聖乳臼歯の迷宮』を読んで、熱帯雨林の広がる東南アジアといえども完新世後に、つまり4~5万年前にホモ・サピエンスが進出した後、異種人類が生き残る余地は無かった、と述べたことがある(2023年12月14日付日記:「古人類学、考古学を基盤に、旧石器捏造やカルト問題を織り交ぜた科学ミステリー小説『聖乳臼歯の迷宮』を読む」を参照)。


特異な生物地理学的領域のワラセラ​

 ただ、その後、1つだけ、本当にそうなのか、と思える過去の報告が気になった。

 それは、イギリスの科学週刊誌『ネイチャー』21年8月26日号に掲載された報告で、それについてはかつて一部を紹介した(21年9月7日付日記:「7300年前のスラウェシ島埋葬の10代女性DNAから未知の現生人類の系統見つかる」を参照)。

​ これは、それまで空白だった、「ワラセラ(Wallacea)で初めて見つかった古代人のDNAについての報告だった。ワラセラは、アジアとオーストラリアの間に位置する島嶼地帯で、東南アジアともオーストラリアとも異なる特異な生物地理を持つ領域だ(地図)。​

 


7200年前の若い女性の古代DNA解析​

​​ ワラセラの島々にヒト族が住んだのは、石器や洞窟壁画から遅くとも4万7000年前と見られる。ただし、熱帯という環境は骨の保存に不向きで、同論文で分析の対象になった人骨は、リーン・パンニンゲ洞窟出土のやっと7200年前のものだった(下の写真の上=リーン・パンニンゲ洞窟)。人骨は、17~18歳の若い女性のもので、2015年にスラウェシ島の洞窟で見つかったものだった(下の写真の下=少女の埋葬遺骸)。​​

 

 

 

 この女性の古代DNAは、錐体骨と呼ばれる楔形の骨から採取した。熱帯の気候のために、洞窟内でも分解がかなり進んでいて、残骸からの抽出は困難を極めたという。


オーストラリア先住民祖先の子孫​

 古代DNAの解析の結果、4.7万年前に最初にワラセラにやって来たホモ・サピエンスの子孫だと分かった。現在のオーストラリア先住民とニューギニア高地人の祖先に当たる。当時、一体化していたオーストラリアとニューギニアなどのサフル大陸の最初の居住民の子孫だったのだ。

 ただしワラセラには、もっと新しい3500年前頃に農耕民がやって来て定住する。彼らと今回解析された女性とは遺伝的な関係はなく、この女性の属した人類集団は絶滅したと考えられるという。

 

デニーソヴァ人の痕跡も​

 興味深いのは、この女性の古代DNAは、今は絶滅した謎のデニーソヴァ人の痕跡も含んでいたことだ。

 デニーソヴァ人は、最初にシベリア、アルタイ地方のデニーソヴァ洞窟で存在が明らかになったヒト族で、ネアンデルタール人と共存していたことが分かっている。

 その後、チベット高原の白石崖溶洞で1980年に見つかっていた下顎骨がデニーソヴァ人と同定され(19年5月5日付日記:「チベットで初めてデニーソヴァ人の存在を確認、シベリア外では初めて、1980年発見の右下顎骨破片」を参照)、また22年には東南アジアのラオスからデニーソヴァ人少女の大臼歯が発見されている(22年6月1日付日記:「ラオス北部からデニーソヴァ人少女の大臼歯発見、アジアで3例目、南アジアでは初」を参照)。


最近まで残存したとは考えにくいが​

 リーン・パンニンゲ洞窟出土の7200年前の少女の古代DNAからデニーソヴァ人のDNAの痕跡が見つかったことは、デニーソヴァ人はワラセラにも分布していた可能性を示唆する(現在のワラセラ西部に住む他の狩猟採集民には、デニーソヴァ人の痕跡は見つかっていない)。

 デニーソヴァ人は、新しい時代まで、例えば生物地理学的に孤立した地域であるワラセラに残存したとまでは考えにくいが、まだ東南アジア人類史には謎が多いと言えるのかもしれない。
 

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