オーストラリア先住民は約5万年前に到達して以来、他大陸の人々からほとんど隔絶されていた。しかしこの集団の広範なゲノム調査はほとんどなされてこなかった。


4つの先住民コミュニティーから159人の試料​

​ 今回、オーストラリア国立大学などの研究グループが、オーストラリアの北部と中部の互いに離れた4地域のオーストラリア先住民コミュニティーから集めた159人の試料の全ゲノム塩基配列の解読の結果、アフリカ外の人類集団の中では最大の遺伝的多様性を持っていることが分かった(写真=サッカーを観戦するオーストラリア北部のティウィ島の先住民たち)。イギリスの科学誌『ネイチャー』2023年12月21日号で報告した。​

 

 

 1990年にヒトゲノム計画が開始されて以来、世界中の何十万もの人々のヒトゲノムの配列が決定されてきたが、オーストラリア先住民のゲノムはこれまでほとんどなかった。1つには、オーストラリア先住民の中で、ゲノム決定のための試料提供に消極的な動きがあったからだ。このため保健・医療サービスでも、オーストラリア先住民は不利な立場に立たされていた。

 今回のオーストラリア先住民のゲノムの大規模な収集に当たって、先住民のコミュニティーの関与と慎重な協議によって可能になった。


4つのコミュニティーはオーストラリア渡来し2万年足らずで遺伝的分岐​

 前述のように、オーストラリアには少なくとも5万年前から人類が住んでいたことが分かっているが、この間、アジアなどから新たな植民もなく、遺伝的に世界の他の地域から大きく隔絶した。その間、この小さな大陸内で集団の間で遺伝的多様化が進んだ。

 解析の結果、4つのコミュニティーは、2万6000年〜3万5000年前の間に分岐し、この間、低いが安定した個体群サイズが維持されていたことも分かった。またオーストラリア先住民がオーストラリアに渡る前に一体だったと見られるニューギニア高地の集団とは4万7000年前に分岐していた。
 

旧世界とは異なる独自の文化、世界最古の局部磨製石斧を製作​

 オーストラリア先住民には、昔、オーストラリアを訪れたおり、瞥見したことがある。観察者によれば、アフリカの黒人よりも皮膚の色が黒いと言われることもあるが、確かに真っ黒だった。この肌の色の黒さも、オーストラリアでの長い遺伝的孤立の結果、定着したと思われる。

​ またオーストラリア先住民の文化も、アジアなど他地域と大きく異なり、独自性を持っている。オーストラリアに人類が渡った直後に、ヨーロッパなどでは新石器文化の特徴である世界最古の局部磨製石斧が作られる一方(写真=オーストラリア最古の遺跡マドジェべべの発掘調査風景と出土した世界最古の局部磨製石斧)、中部旧石器文化の特徴であるルヴァロワ技法も用いられず、さらに上部旧石器文化の一大指標である石刃の製作もなされたなかった。​

 

 

 

農耕を発展させず​

 すぐ北のニューギニア高地ではおそらく7000年前には、タロイモなどを栽培する原初的な農耕が始まっていたが(この時、ニューギニアは氷河期後の海水準の上昇でオーストラリア大陸から切り離されていた)、オーストラリアではついに農耕は行われなかった。

 こうした孤立した大陸であったことが、オーストラリア先住民に、アフリカを除いて世界最大の遺伝的多様性を備えさせるに至ったのだろう。


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