トカラ語という「死語」がある。たぶん本ブログを読む人は初めて耳にする語ではないだろうか。死語だから、現在、それをしゃべる人も、トカラ文字を書く人も誰もいない。

 

タリム盆地の砂漠で使わせていた謎の孤立語「トカラ語」​

 世界だって、トカラ語という言語がかつてあったことを長く知らなかった。

 言語学的には、インド・ヨーロッパ語族に分類されるが、他のどんなインド・ヨーロッパ語族からも遠く隔たった辺境に孤立していた。何しろ中国西部の新疆ウイグル自治区の荒涼としたタリム盆地で500年前頃まで使われていただけなのだ。

​ そのいくつかのオアシスの村に残された、紀元1000年紀半ばから後半にかけての仏教の経典と商業文書中から、20世紀前半にようやくにトカラ語というものが明らかになった(写真=トカラ語残存文書)。​

 

 

 死語になった後も、清や欧米の学者に知られていなかったのは、何よりも他の言語から孤立していたからだ。周りには、天山山脈、パミール高原、ヒマラヤ山脈という険しい山塊が聳えていた。まさにそこから隠されたようになっていたのだ。だからトカラ語は、それで書かれた仏教文書を別にして、どんな歴史的アイデンティティーを持つのかも分かっていない。

 ちなみに現住のウイグル族の話すウイグル語はチュルク語族に属し、トカラ語とは別系統の言語である。
 

タリム盆地の砂漠に多数見つかる埋葬ミイラ遺体​

 タリム盆地の砂漠には、砂に保存されていたユーラシア西部人類集団の特徴を持った青銅器時代のミイラがかなり見つかっている。タリム盆地で初めてミイラ化した遺体が発見されたのは、20世紀初頭のことで、ヨーロッパの探検家が砂漠に入るようになってからだ。トカラ語仏教文書も、そうした探検で見つかった。これらの遺体は、特別のミイラ化処置はされておらず、砂漠の極端な乾燥が軟部の腐敗を防いだのだ。

​ これまでに古代墓地から見つかったミイラ遺体は数百体にのぼっている(写真=古代墓地と墓)。最も古いもので紀元前2100年頃、最も新しいものは紀元前500年頃のものと推定されている。​

 

 

 

 

 

表情もはっきり残る「小河の美女」ミイラ​

​ 最も有名なのは、「小河の美女」または「小河の王女」と呼ばれるミイラだ(写真)。紀元前1800年頃に埋葬された女性で、髪の色は明るく、頬骨が高く、長いまつげが今も残り、まるで微笑みながら亡くなったかのような表情をしている。大きなフェルト帽をかぶり、上質な服と宝石を身に着けていた。おそらく高貴な出自なのだろう。​

 

 

 2021年、ミイラ13体の古代DNAを分析した結果、これらの人々は、今のウイグル族と遺伝的な関連はなく、青銅器時代にこの地域一帯に住んでいた独立の集団だったことが明らかとなった。近隣に住む人々から農耕の慣習は取り入れたものの、文化的・遺伝的独立性を維持していたのだ。

 おそらく彼らが、トカラ語話者だったのではないだろうか。


昨年の今日の日記:「ウサギの長い耳と赤い目、なぜ?」