​ 日航(JAL)社長に女性の鳥取三津子氏(写真=バトンを継ぐ現社長の赤坂氏と握手)が4月1日付で就くというニュースは、日本の会社もここまで来たか、という思いを持った。​


 

基幹要員ではないCAからのまさか

 ジェンダーフリーの叫ばれる時代だから、国のナショナルフラッグ・キャリアであるJALの社長に女性が就いたとしても、今さら驚くことはない。

 しかし、鳥取氏の場合は、キャリアが異例だ。

​ まず同社で初めてかつてスチュワーデスと呼ばれたCA出身の社長であることだ(写真=制服のJALのCA)。CAは華やかではあるが、どこの航空会社でも基幹要員ではない。会社を背負って立つのは、企画営業部門か総務部門出身者が多い。実際、ライバルのANAホールディングスでは、そうした人事になっている。航空業界はあまり知らないが、世界の航空会社でもCA出身の社長は初めてではないだろうか。​


 

吸収合併された東亜国内航空の出身​

​ 次に鳥取氏が、傍流の出身だということだ。今は無い、JALに吸収合併された東亜国内航空(写真)に入社して、そこでCAを務めていた人だ。​

 

 

 東亜国内航空は、ローカル線主体の航空会社で、東急の資本が入っていた。国際化の叫ばれる中、搭乗者減の予想されるローカル線主体では将来性がない、とJALの傘下に入った。国際線主体だったJALは、これで国内ローカル線を手に入れ、羽田で海外へ乗り継ぐコースを手に入れた。

 ふつうどこの会社も、吸収合併された会社は、人事でも傍流として冷や飯を食わされる。

 それでも鳥取氏は、JALで順調に出世していった。

 

地方の女子短大出身で並み居る東大出を押しのけて​

 第3に、鳥取氏が、長崎県では名門ではあっても、全国的には無名の活水女子短大の出であることだ。昔、知り合いの知り合いの地方の教育学部の女子大生がCAになりたかったが、けっきょく門戸が開かれたのは東亜国内航空であったことを思い出した。おそらく活水女子短大出では、JALの門戸は固かったはずだ。

 そのような三重苦、女性であることを入れれば四重苦にかかわらず、並み居る東大卒男性を押しのけて社長に上り詰めた。おそらく並みの努力ではなかったはずだ。鳥取氏に心からの祝福を贈りたい。

 そう言えば、JALの会長の植木義晴氏(4月1日付で退任予定)も、パイロット出身で、2012年に社長に就任した時は、初のパイロット出身として話題になった。

 

2010年の倒産で民間精神吹き込まれた​

 こんな異例の人事の行えるJALが、かつてはガチガチの国有会社であったなんて、想像できない。2010年に会社更生法の適用で事実上の倒産をして、民間から京セラの稲森和夫氏が乗り込んで、民間的精神を注ぎ込まれて再生した。

​ ちなみに1月2日の海保機との衝突事故(写真)は、この人事にも何の関係もなかったが、幸いにも追突した日航機側に死者は出なかったが、大量の犠牲者が出ていれば、人事も変わっていたかもしれない。​

 

 

 ただ荒波の世界で巨大ナショナルフラッグ・キャリアを経営していくには、鋭い感覚と判断力、それを社内に直ちに反映させて動かす指導力が要る。鳥取氏の力量が日々、試される。


昨年の今日の日記:「スターリニスト中国、ついに人口減でインドに抜かれる、22年GDPも目標に遠く及ばない3.0%増に留まる」