人類遺跡には様々あれども、これほどの遺跡は、そうはない。

​ 今から24年前の1999年、アルゼンチン北部のユーヤイヤコ(Llullaillaco;ジュジャイジャコとも=写真)火山(標高6739メートル)の山頂で、インカ(タワンティンスーヨ)帝国時代の子どものミイラ3体が発見された。​

 


 

標高6700メートルの高山では初の人類遺跡​

​ 古代インカの生け贄の儀式「カパコチャ」で生き埋めにされたミイラは、保存状態が極めて良く、非常に安らかな死に顔だった(写真)。​

 

 

 

 

 こんな標高の高い山に、僕は一生のうちに登れる機会は無いだろう。それなのに、こんな超高山に、なぜ生け贄の儀式を行い、子どもが登ったのか、驚嘆せざるを得ない。

​ ミイラは、古代インカの生贄の儀式カパコチャで生き埋めにされ、凍てつく高山に安置されていたため、保存状態が極めて良かった(写真=発見状況)。​

 

 

 これほどの高山から人類遺跡が発見されたのは初めてのことだ。


生け贄となるために自ら高峰に登頂​

 古代アンデス文明やメソアメリカ文明が、現代人の感覚では極めて残酷な儀式を行っていることはよく知られているが、3人のこどもたちは生け贄にするために当時の首都クスコから数カ月がかりで徒歩で山頂まで登らされていた。

 さらにその後の研究結果で、3人の子どもはいずれも、生け贄として捧げられる1年前から向精神作用成分の摂取を強いられていたという。つまり「ヤク中」である。こんな子どもに、と慄然とさせられる。
 

髪の毛を分析して薬物中毒の痕跡を突き止める​

​ イギリスの法医学と考古学の専門家の研究で、まず13歳の少女のミイラ(写真)について生化学分析を行った。毛髪には、死を迎えるまで約2年間に摂取した飲食物を特定する手掛かりが残されている。 ​

 

 

 毛髪は、1カ月に約1センチずつ伸びる。したがって伸びた毛髪はその後、成分が変化することはない。だから毛髪の組成分析で、一定期間に摂取した飲食物の種類を時系列的に追跡できる。分析によると、少女の固く編み込まれた長い毛髪からコカやアルコールの成分が検出された。アルコールは、トウモロコシを発酵させて作るチチャという酒に由来するという。
 

「アクラス」に選ばれた「名誉」か​

 髪の長さから、この少女は約1年間、コカやチチャを大量に与えられていたようだ。当時、コカやチチャは、支配層が管理しており、誰もが手軽に入手できるわけではなかった。つまり少女は、「神に選ばれし女性」、「思春期の処女から選ばれたアクラス」だったのだ。

 また以前のDNA解析や化学分析で、少女は死を迎えるまでの1年間、トウモロコシやリャマ肉といった栄養価の高い食事が与えられ、栄養状態はそれ以前より劇的に改善していた。加えて、同時期のコカ摂取量の大幅増加が判明した。

 「アクラス」に選ばれて、特別な待遇で死の準備をしていたのだ。
 

クスコから1000キロの道を歩き、6739メートルの山頂まで登った​

 現代人の感覚では、生け贄の少年、少女は怖くはなかったのだろうか、と危ぶむ。

 しかしおそらく子どもたちは生け贄として神の御許に行けることを喜び、それを一日千秋の思いで待っていたのではないだろうか。生け贄として差し出した家族の思いも、同じだったに違いない(18年6月17日付日記:「ペルーの古代王国チムーの遺跡で140人もの子どもたちが1度に生け贄にされていた(下);エルニーニョによる異常気象を収めるためか」と18年6月16日付日記:「ペルーの古代王国チムーの遺跡で140人もの子どもたちが1度に生け贄にされていた(上);新大陸文明に共通する供犠風習」を参照)。

 だから3人は、クスコから1000キロ以上も歩き、標高6739メートルのユーヤイヤコ山の山頂まで登っていったのである。彼らは自分の脚でしっかりと登ったのだ。


少女の口中からコカの葉も見つかる​

 ただ1999年の発見当時、少女の口中から噛まれたコカの葉が見つかっている。死の当日、おそらく少女はコカやアルコールの作用で意識は朦朧状態だったろう。場合によっては既に意識を失っていたかもしれない。眠りに落ちた少女は、穴の中でゆったりとしゃがみ込む姿勢をとらされ、やがて低体温から凍死した。しかし苦しむことなく、死の旅路は穏やかだったに違いない。

 僕はまだ観ていないが、少女のミイラはアルゼンチン、サルタ州考古学博物館に展示されているという。


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