日本は、石油の92%以上を中東に頼るのに、中東問題に関与できない。欧米と、その点が決定的な違いだ。
 

19世紀末、パレスチナでユダヤ人はごく少数​

 今、テロリスト国家ロシアによるウクライナ侵略戦争から世界の耳目を奪っているイスラエル対ハマスの戦いだが、このよってきたるイスラエル対アラブの因縁の歴史も深い。

 現在のイスラエルのあるパレスチナ地方は、19世紀中頃までの住民数はユダヤ人は少数派だった。ベドウィンと呼ばれるアラブ系遊牧民が主流で、その頃、両者の軋轢は全くと言っていいくらいなかった。

​ 歴史を変える起源は、1880年代帝政ロシアで起こったユダヤ人の住居や店を集団的に襲ったポグロムである。これで、数多くのユダヤ人が殺された(写真=1905年の日露戦争中のロシア、エカテリノスラフでのポグロムで犠牲になったユダヤ人の子どもたち)。​
 

 

帝政ロシアのユダヤ人集団虐殺にユダヤ系銀行家が憤激、日露戦争で日本支援​

​ 帝政ロシアでのポグロムの深刻化は、日露戦争中、1人のアメリカのユダヤ系銀行家を動かした。ジェイコブ・シフである(22年5月7日付日記:「ロシアのウクライナ侵略戦争苦戦の最中、外相ラブロフの反ユダヤ妄言がイスラエルなどの猛反発を買う:ロシアの血塗られた反ユダヤ主義の歴史」、17年6月16日付日記:「イスラエルでロシア語が幅をきかす背景のロシア・ソ連現代史の暗黒」、及び15年1月18日付日記:「日曜日昼の楽しみ『坂の上の雲』再見とユダヤ系銀行家への謝意新たに」を参照=写真)。​

 

 

​ 日本は、対ロシア戦争の戦費を、貧困な国内では調達できず、海外で債券(外債)で販売して調達しようと試みた。後の大蔵大臣の高橋是清(当時、日銀副総裁)が、ニューヨークやロンドンの銀行などの投資家を回り、戦費調達の外債を募った(写真)。​
 

 

日露戦争で日本発行の紙くずの懸念もあった外債を大量購入したシフ​

 当時、欧米諸国は、大国ロシアと戦って日本に勝ち目はないとの見方がもっぱらだった。日本が敗れれば、多額の賠償をロシアに取られるから、外債の償還など望むべくもない。だから外債は売れなかった。当時の国家予算は6.8億円なのに、戦費4.5億円のうち約1億円も外債で調達する必要に迫られていたのに、である。

 この時、高橋に救済の手を差し伸べたのは、ユダヤ人バンカーのジェイコブ・シフだった。彼は野蛮なロシアに殺され続けるロシア国内のユダヤ人に深く同情し、そのロシアと戦おうという日本に共感、外債を自ら購入したうえ、他のユダヤ系銀行家にも購入を呼び掛けた。シフの信用で、場合によっては紙くずになるかもしれなかった大日本帝国発行の外債はぶじ完売したのである。

 日本政府は、戦後にシフを招き、明治天皇より最高勲章の勲一等旭日大綬章を贈って、シフを顕彰した。
 

杉原千畝、亡命ユダヤ人に日本通過の大量のビザ発給の功績​

 なお帝政ロシア時代のユダヤ人への迫害は、ロシア帝国内のユダヤ人に大きな反発を呼び起こし、彼らの間に多くの帝政打倒を目指すボルシェヴィキの革命家を生んだことを特筆しておきたい。

 トロツキー、ジノーヴィエフ、カーメネフ、カール・ラデック、そしてロシア革命家として出発したローザ・ルクセンブルクらは、みなユダヤ人であった。

​ 第二次世界大戦の初期、リトアニアのカウナス領事館に勤務していた杉原千畝領事(写真=領事時代の杉原千畝とその家族。リトアニアを訪れた際、旧領事館を改装した杉原記念館を参観して飾られていたものを複写)が、本国の訓令に反して、ナチの迫害から逃れるべく日本の通過ビザを求めて押し寄せる6000人のユダヤ人にビザを発給したことも、今日の日本とイスラエルの友好関係につながっている(杉原千畝については、15年4月29日付日記:「バルト3国紀行6:本国の訓令に反して『命のビザ』約6000通を発給した杉原千畝を訪ねて(後)」、15年4月28日付日記:「バルト3国紀行5:本国の訓令に反して『命のビザ』約6000通を発給した杉原千畝を訪ねて(中)」、及び15年4月27日付日記:「バルト3国紀行4:本国の訓令に反して『命のビザ』約6000通を発給した杉原千畝を訪ねて(前)」を参照)。

 


昨年の今日の日記:「中国共産党大会終わり、1強体制を確立した習近平、共青団は全滅」