僕が長年のあこがれのペルー高原のマチュピチュに行ったのは、2012年2月だったから、もう11年以上も過ぎた。
 

100年以上忘れられていたスペインに滅ぼされた遺跡​

 そのマチュピチュは、アメリカの探検家ハイラム・ビンガム3世によって1911年7月24日、偶然に発見された。彼は、険しい山岳地帯に発達していた古いインカ時代の道(以下、インカ道と略)を探検していた時、山の上にマチュピチュを見つけたのだ。インカ、すなわちタワンティンスーヨの文明は、文字を持たなかったので、1533年にスペイン人コンキスタドーレに征服されて無人になってから、すっかり忘れられていたのだ。

 僕のマチュピチュへの道は、ツアーでまずアルゼンチンに降り立ち、世界3大瀑布のイグアスの滝を観て、その後、ナスカ、クスコをめぐる旅の最終行程に近かった。

 クスコからは、山岳列車でマチュピチュの入口のマチュピチュ村に夕方に到着、そこで宿泊し、翌日、フルのマチュピチュ参観となった。
 

クスコで見たような「カミソリも通らないほど」ピッタリ積まれた石積み​

 マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡には、バスで山肌のヘアピンカーブ道を走り、入口前で下車して、後は徒歩でマチュピチュまで歩く。

​ 到着して観たマチュピチュは、まさに想像したとおりの偉容だった(写真)。​

 

 

​​ そこで地元ガイドさんの案内で、遺跡内「市街地」を観て回る。本で知っていた日時計や太陽の神殿(下の写真の上)、コンドルの神殿、そして急峻な崖に細かく石垣を築いて造成した段々畑(下の写真の下=段々畑にリャマがノンビリと草を食む)など、本当に印象深かった。​​

 

 

 

​ クスコの昔の遺跡のように、ここの石積みも、きれいに成形されて「カミソリも通らない」ほどピッタリと積まれている(写真)。​

 


 

ワイナピチュを遠望、登れなかったのは残念

​​ 日本からは地球の反対側なので、もう来ることはあるまい、と思いながら回った中で、残念だったのは、石組み遺構の向こうに望めた標高約2693メートルの円錐形の山ワイナピチュに登れなかったことだ(下の写真の上=マチュピチュ「市街地」からワイナピチュの遠望、下の写真の下=市街地の入口から見たワイナピチュ。まるで額に納まったかのようだ)。​​

 

 

 

 ワイナピチュに登るには1日400人の制限があって、その枠に入らないといけない。僕たちはツアーだったので、高齢層も多く、その少ない枠を取ってまで登山しようと、旅行社は計画しなかったのだ。ちなみにマチュピチュの標高は2280メートルくらいだから、標高差は400メートルちょっと、普通の人なら楽に登れる高さである。
 

午後の自由行動にインティプンクを目指す​

 僕たちツアー客のマチュピチュ見学は午前中までだった。昼に入口にあるレストランで昼食を採った後は自由解散で、疲れた人はバスでマチュピチュ村に降りてもよかった。

 しかし、それではいかにももったいない。

 僕は、昼食後にガイドから勧められたインティプンク(太陽の門)に行くことにした。午前中にマチュピチュ「市街地」を歩き回ったおかげで、疲れてれてはいたが、ワイナピチュの代わりとしてはインティプンクは申し分ない。

 インカ道を登って行くインティプンクの標高は実は2720メートルあり、ワイナピチュより高く、マチュピチュ遺跡からの標高差は450メートルくらいあるのだ。

(この項、続く)


昨年の今日の日記:「イヌとネコの家畜化の起源の違い、歴史も家畜化の由来も異なっていた」