ライオンを、「なでなで」したことがある。
と言っても、仔ライオンで、南アフリカのサファリパークでのことだが。
仔ライオンに「なでなで」
そこは、仔ライオンだけが親から放され、ノンビリとひなたぼっこをしている一画だった。フェンスは無い。きょうだいと思われる数頭の仔ライオンが、屈託も無く寝そべっている(写真)。
ガイドが、どうぞ撫でてください、と勧める。
僕らツアー一行は、順番に、こわごわと仔ライオンに触れていく(写真)。
仔ライオンでも、噛まれたらケガをするかもしれない、と危ぶみながら、僕も1頭の仔ライオンの傍らにすり寄った。
生後半年くらいかもしれない。初めは温和しくしていたが、そのうち口を開けた。その時は、さすがに冷やっとしたが、指を噛み切られることはなかった。指先で感じた仔ライオンの歯の感触は、やはり鋭いという感じだ。この月齢では、確実に肉を食べている。
ライオンの生息域は狭まり、個体数も減っている
今、アフリカのサバンナでは、一部の狭い地域は例外として、全体として野生のライオンの生息数は減少し、2~3万頭前後という。サバンナが人間の放牧地によって浸食され、また気候変動でサバンナの乾燥が進行しているとされる。白人入植者が、東アフリカや南アフリカに入ってくる前と比べれば、生息域は8%程度にまで細ったとされる。
ボツワナのチョベ国立公園は、僕ら外国人ツアーがほぼ確実に訪れる所だ。
ここでランドクルーザーに乗って園内を参観したが、ゾウやインパラ、バッファロー、ジラフは、どこでも見られたが(写真)、ライオンは1頭もお目にかかれなかった。人間が立ち入る国立公園は、ライオンたちには「ヤバい」所なのだろう。
人間の歴史の中で、ライオンは一時はアジア、ヨーロッパにまで分布していた。
ヨーロッパ、中東、そして北アフリカでも絶滅
氷河期には全ヨーロッパに分布していたライオン(ホラアナライオン)は、後氷期の前にほぼ絶滅、その後、ローマ文明の発達の前には南欧に生き残っていたヨーロッパのライオンも、狩猟されたり、生息域が無くなったりしてほぼ絶滅した。中東にいたインドライオンもアッシリア文明の頃には絶滅した。アジアでは、インドの野生保護区に少数が生き残る。
北アフリカに生息していたバーバリライオンも、悲劇の道をたどる。ローマ帝国の支配者の手で狩られ、ローマに連れて来られて、闘技場で奴隷剣闘士と戦わされたりした。
ローマ帝国の衰亡の後も、人間の活動域の拡大で生息数は減り続け、アルジェリアとチュニジアからは1891年に姿を消し、モロッコでは最後の野生個体が1922年に射殺されて絶滅したといわれる。
モロッコで見たバーバリライオンの像
僕は、2014年にモロッコに行った時、アトラス山脈の麓のイフレンという街の公園と迷路の街フェズの広場で、巨大なバーバリライオンの像を見たことがある(写真=上はイフレンの公園の、下はフェズの広場のライオン像)。モロッコの人たちも、ライオンを懐かしく思いは強いのだろう。
ライオンは、肉食ネコ科では珍しく群居性である。1頭のオスが多数のメスを従え、そこで子育てもする。「プライド」と呼ばれる群れで、メスは群れで大型獣を襲う。オスは、狩りに加わらない。それでいて、メスが獲物を倒すと真っ先に獲物を食う。
そんなオスの大切な役割は、プライドのメスと仔をはぐれオスの襲撃から守ることだ。プライドの中の仔ライオンは、すべてオスの子どもなのだ。
ティラノサウルスが生き残っていたとしても文明化で絶滅したはず
したがって個体数が減って、プライドが崩壊すると、ライオンは生きていけない。ローマ時代から近世にかけ、急激に絶滅に追い込まれたのは、ライオンのこんな生態もあるのだろう。
トラと同様に、「百獣の王」の肉食獣ライオンも、人類が最大の強敵であることには変わりはない。仮に、仮にであるが、もしティラノサウルスが旧石器時代まで生き残っていたとしても、新石器時代、そして文明化で、ティラノサウルスも絶滅したに違いない。
昨年の今日の日記:「エチオピア紀行(168):塩砂漠に飽和塩水が薄く張ったアサレ塩湖」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202208190000/