23日夜、プーチン政権の軍部に反乱を起こした民間軍事会社ワグネルと創設者のプリゴジンは、1日で反乱の矛を収めたが、その過程で興味深い事象が目撃された。
 

ワグネル、ロストフナドヌーで市民と交歓​

​ まずワグネルが、ロシア国民の間で人気が高いことだ。ワグネルが進駐したロストフ州の州都ロストフナドヌーでは24日、ワグネルの旗を持った市民から歓迎のエールが送られ、抱擁し合ったり、一緒に写真を撮ったりする様子があちこちで展開された(写真)。​

 

 

 

 

 

 ワグネルは、その後、首都モスクワまで200キロに迫る地点まで北上したが、その間、ロシア正規軍に制止されることはなかった。プリゴジンの元に戻るという指令で、自発的に引き返した。

​ このことから、ロシア正規軍にも反ワグネルの気運は乏しかったと見られる。ただし、その途中で、ロシア空軍のヘリ7機を破壊、またイリューシン22機も撃墜され(写真)、パイロットなど13人以上の兵士が死亡した模様だ。空軍は昨年2月のウクライナ侵略以来、1日としては最大の損害を出した。

 


 

プリゴジンは身柄拘束中か​

 プーチンは24日夜、緊急のテレビ演説で「内部の裏切りを含め、あらゆる脅威から国家と国民を守る。我々が直面しているのはまさに裏切りだ」と、激しくワグネルを非難した(写真)。プリゴジンが「流血を避けるため」として部隊を撤収させたのは、この「裏切り」断罪以後だ。おそらくプリゴジンは、標的は国防相ショイグと参謀総長ゲラシーモフであって、行動を起こしてもある程度、プーチンの理解を得られると思っていたのかもしれない。

 

 

 そのプリゴジンだが、24日夜以降、SNSの声明は途絶えたが、26日、居所を明らかにしないままSNSで弁明の声明を出した。

 憶測だが、約束されたベラルーシの亡命の前に、身柄を拘束されているのだろう。したがってベラルーシに本当に亡命できるか、分からない。
 

プーチン、ルカシェンコと談合、プリゴジンの処置を打ち合わせか​

 プーチンにとっては、ワグネルの反乱は自分の盤石な統治に対し、世界に向けて疑いを投げかける行為で、メンツは丸潰れだ。「裏切り」という最大限の非難も重い。

 たとえプリゴジンがベラルーシに身柄を移されても、自由にはさせられず、いずれ刺客に暗殺されるだろう。

 事実、ロシアの独立系メディアは、ロシア軍の参謀本部に近い情報筋の話としてプーチンが治安部隊に「プリゴジン氏の始末」を命じたと伝えた。「始末」が何を意味するか、言わずとも明白だろう。

 24日、25日と2度もプーチンはベラルーシのルカシェンコと電話会談をしている。プリゴジンの処置を相談したに違いない。

​ なおプリゴジン本人が乗っていたかどうか未確認だが、ベラルーシの独立系軍事情報監視団体「ベラルーシ・ガユン」は27日、プリゴジンの所有するプライベートジェット1機が同日朝、ベラルーシのマチュリシ空軍基地に着陸したと伝えた(写真=24日、ロストフナドヌーで地元住民の自撮り写真に一緒に収まるプリゴジン)。​

 


昨年の今日の日記:「札幌周遊記2022⑤:過疎地さながらのローカル列車で小樽の先の塩谷へ」