高龍寺(写真)の山門の前の説明板を読んでいて、興味深い名を見つけた。

 


探したが見つからなかった高龍寺の中川五郎治の墓​

​ 日本で最初に牛痘接種を行った中川五郎治の墓がある、という(写真)。

 


 中川五郎治については、前に3回に分けて紹介したことがある(20年10月3日付日記:「死の悪疫=天然痘と闘った幕末の先覚者(3の前編):日本に初めて種痘苗を持ち帰ったシベリア帰還の漂流民、久蔵の不遇」、20年9月27日付日記:「死の悪疫=天然痘と闘った幕末の先覚者(2の後編):北辺の蝦夷、松前で日本最初の種痘を行った元シベリア虜囚の中川五郎治」、及び20年9月25日付日記:「死の悪疫=天然痘と闘った幕末の先覚者(2の前編):北辺の蝦夷、松前で日本最初の種痘を行った元シベリア虜囚の中川五郎治」を参照)。​

 さっそく境内の広い墓所を探したが、すぐに諦めた。あまりにも墓石数が多く、とても1つ1つ見ていけない。

 高龍寺に中川五郎治の墓があると初めから知っていれば、ネットで探して見当をつけられた。しかし説明板を見て初めて墓のあることを知ったので、自らの準備不足を責めるしかない。
 

外国人墓地に、まずロシア人墓地​

 高龍寺の西の方に、墓地が多い。

 僕は、外国人墓地を探した。観光客の訪問が多いのか、男女別の水洗トイレが設けられている。僕も、お世話になった。

​ まず最初に見つけたのはロシア人墓地だ。ただ入り口の扉には鍵がかかっていて、中に入れない(写真=扉越しに撮影)。正面中央に大きく八端十字架の刻まれた碑があるが、多くの墓石は横倒しになっている。​

 


 

扉に鍵がかかっていたロシア人墓地​

​ 扉越しに見える説明板によると、最初の墓は、幕末の1859年という(写真)。現在、43基の墓があるそうだ。いかにもロシア人の墓らしく、シラカンバの木が植えられている。ロシアのウクライナ侵略以来、ロシア人墓地には風当たりが強いはずで、誰か墓守はいるのだろうか。旧領事館は名所として著名だが、現在、函館にはロシア領事館はない。​

 

 

 近くには、ロシア人墓地と別に、やはり八端十字架を墓石に刻んだハリストス正教会(ロシア正教)墓地がある(写真)。葬られているのは、みんな日本人、地元の死者である。

 

 

 ただこれも、ウクライナ侵略以後、風当たりが強いのか、扉に鍵がかかっていて、中に立ち入れない。

(この項、続く)


昨年の今日の日記:「奥日光の山旅①:竜頭の滝上から高山(たかやま)に登る、早春の雰囲気の山行」