そろそろ昼に近い。疲れもたまっていた。

 大三坂を下って電車通りに出て、歩いて「十字街」電停に向かった。「十字街」電停は、「函館どつく」から来る市電と「谷地頭」から来る市電の合流点で、どれに乗っても「湯の川」に、そして手前の「函館駅前」に行けるから、それだけ本数が多い。
 

函館駅前の「えぞりす」で電チャリをレンタル​

 やがて来た市電に乗って、函館駅前で降りる。ここで適当に昼食を取って、駅前のお土産店などが入る複合ビル「キラリス函館」に行った。この1階の海産物などのお土産を売る「えぞりす」という店で、「はこりん♪」というレンタサイクルを借りることにしたのだ。レンタル料は少し高いが、坂道の多いことを考慮して電動アシスト自転車にした。4時間1430円なり。

 電チャリだと、すごく楽だ。市電を待つ無駄な待ち時間もない。

 さっそくベイエリアの金森赤レンガ倉庫に行った。
 

赤レンガ倉庫に失望、ペリー広場へ​

​ 行ってみて失望したのだが、広大なかつての赤レンガ造り倉庫はショッピングモールになっていて、若い女性には興味はあるだろうけれど、僕には無縁な所だった。せっかく来たので、トイレに寄り、外観を撮って、次に向かうことにした(写真)。​

 

 

 来たのは、基坂(もといざか)で、正面行き止まりに元町公園が、その手前右側に「ペリー広場」がある。

 僕はここに来て、案内板で初めて知ったのだが、ペリー提督の艦隊は、箱館に訪れていたのだ。
 

2度目の来航で箱館にも来たペリー​

 最初の嘉永6年(1853年)に4隻の黒船を率いて浦賀に来港した時は、アメリカ側の事情で期限が切られていたため、幕府側に開国の要求をしただけで大統領の親書だけ手渡して、ペリーはあたふたと立ち去った。

 翌年、今度は7隻の軍艦を率いて再度、来航し、3月に神奈川で日米和親条約を調印した。同条約で、下田と箱館の開港を得たペリーは、下検分のために5月下旬に箱館に来航したというわけだ。ちなみに吉田松陰がポーハタン号に接触し、密出国の要請をして断られたのは、この時の2度目の来航時である。

 ペリーのこの箱館来航をきっかけに、幕府は箱館奉行所の移転先としてより内陸に五稜郭の築造に乗り出した。

​ 函館市は、ペリーの箱館来航150年を記念し、その2年前の2002年5月にペリー提督の銅像をペリー広場に建立し、来航記念碑を建てた(写真=ペリー提督像とペリー広場)。​

 

 

 

 函館は、激動の幕末の1つの焦点の地だったのだ。

(この項、続く)


昨年の今日の日記:休載​