午後4時近くになって、さすがに疲れて、また寒くなってきた。五稜郭を後にする。

 ここからは、函館駅まで市電(路面電車)に乗る。電停まで約10分。疲れた身には、ややこたえる距離だ。


市電で函館駅前に​

 ほどなくやって来た電車に乗って、8つ目の電停の函館駅前で降りた。料金は210円。

 時間は4時半頃。海鮮和食店に行くにもやや早い。そこで、駅のインフォメーションセンターに行き、観光案内地図をもらい、ついでに土方歳三最期の地の旧一本木関門への道を聞いた。

 駅から徒歩で10分ほどだ。

 道は広いが、日曜日だからなのか、日曜日なのに、と言うべきか、人通りがない。道を聞くのも、難渋する。幸い、もらったばかりの観光地図で間違えもなく、たどり着いた。
 

弁天岬台場の旧幕府軍救援に向かい、一本木関門で銃撃を受け戦死​

​ 若松緑地公園の中に、碑などがあるようだ(写真)。​

 

 

​ 明治2年(1869年)5月11日(現在の暦で6月20日)、新政府軍の箱館総攻撃が開始され、新撰組生き残りの島田魁らが守備していた弁天岬台場が新政府軍に包囲され孤立し、土方は援軍としてわずかな兵を率いて出陣し、この一本木関門で銃撃を受けて戦死した(21年3月20日付日記:「幕末に無敵の強さで京の治安を守った武装集団=新選組、戊辰戦争後も生き残った義に生きた武士たちの維新後:前編」を参照=写真:弁天岬台場跡の記念碑)。​


 

土方歳三最期の地の碑などに合掌する参観者​

​​ 公園の一角に建立された石碑には、土方の写真が添えられ、花が手向けられている。またその右奥には「一本木関門」の復元ポスト、そして手前右には市の作った来歴掲示板が設置されていた(写真上から土方歳三最期の地の全景と碑、そして掲示板)。

 

 

 

​ 僕は、手を合わせて軽く一礼した。そして立ち去ろうとすると、中年の女性がやはり碑の前で合掌した。さらに高齢の男性と、出ようとすると土方歳三を顕彰するポストを観る男性にも気がついた(写真)。​

 

 

 寒くなった夕方にも、僕を含めて4人もが訪ねてくる。やはり土方歳三は幕末から戊辰戦争までの英雄なのである。

 

美味い海産物で満腹​

 もう5時に近かった。

 僕は歩いて、ガイドブックに載っていた駅に近い「いか清大門」という活魚料理屋に向かった。

​ ここで美味いイカ刺し、イカ焼き、ホッケ、アスパラガスの天ぷらなどを食べて、すっかり満足したのである(写真)。​

 

 

(この項、続く)


昨年の今日の日記:「イギリスの石油メジャーBPがロシア事業で超巨額減損も、原油高・天然ガス高を追い風に一挙処理に踏み切る」