3年前に南アフリカに行った時、季節外れではあったが、ジャカランダの花を観て、美しい紫の花に感動した。ただ僕の行った季節は、南半球の春に当たる9月だったが、ジャカランダの花季には早く、爛漫というには遠かった。
ジャカランダの花
そのジャカランダの花がアディスアベバ空港を出てバスの乗り場に行く途中に咲いていた(写真)。まだ花期には早い感じだった。
アフリカでもエチオピアは地下資源に恵まれない最貧困国なので、移動も豪華大型バスというわけにはいかない。僕たちを待っていたのは、バンの乗り合いタクシー(写真)で、何台かに分乗する。分乗と言っても、僕を含めて一行14人の少人数ながら、一斉に乗るときつい。
これからアディスアベバのレストランで食事だ。
連れて行かれたのは、壁面にいっぱいエチオピア人画家の絵が飾られたレストランだった(写真)。エチオピアではどの空港でも、地元の画家の絵が飾られていたから、画家が多いのだろう。
旧宗主国の縁か、ランチはイタリアンであった。サラダにピザ、マカロニというメニューだ。僕は、早々に済ませてレストランの外に出て、ちょっと周辺を散歩した(写真)。アディスアベバのどの辺りに位置しているのか全く分からない。
オガデン戦争勝利の記念碑を窓外に瞥見
食事後、乗り合いタクシーで出発する。
旅程表によると、聖ゲオルギス大聖堂(St George's Cathedral)に行く。
途中、窓の外にてっぺんに「☆」を載せた高い塔が見えた(写真)。説明は、何もなかった。
帰国後に調べると、ティグラチン記念塔(Tiglachin Monument)のようだった。ソマリアとの間で戦ったオガデン戦争(1977年~1988年)の勝利を記念する塔だった。
この時代、エチオピアはメンギスツ共産政権の統治下にあったが、エチオピア東部オガデン地方もソマリア領だと主張する隣国ソマリアのモハメド・シアド・バーレ政権との間で戦争が起こった。当時のメンギスツ共産政権は、国内が急激な共産化による農業混乱、大飢饉などで疲弊していた。ソマリアの独裁者バーレは、この機に乗じてオガデンに侵攻した。
キューバ兵の支援でメンギスツ共産政権は辛うじて勝利
両国は、共に社会主義を掲げる独裁政権で、当時の両国の後見人に当たるソ連は困惑した。いずれも友好国だったが、ソ連のブレジネフ政権は、アフリカの有力国であるエチオピアに味方した。狡猾にも自らは兵力は送らず武器の支援に留めたが、衛星国のアメリカ大陸のキューバを使い、キューバが1万5000人もの兵を派遣、これにより一時は劣勢に陥ったメンギスツ政権も態勢を立て直し、ソマリア侵入軍をソマリアに押し返した。
ソ連に見捨てられた形で事実上の敗戦を喫したソマリアの独裁者バーレは、ほどなく政権を追われた。その後、オガデン戦争を引き起こしたソマリアは、破綻国家に転落した。
バスで通り過ぎる際、そのような記念碑が建てられていたことも知らず、それを無頓着のまま通り過ぎてしまった。食後の心地よい車の揺れにも眠らず、窓を見続けていただけに、辛うじて写真を撮れた。
眠らずによかった。
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