僕たちは、さらに岩塩の「カッパドキア」、「ビュート」を奥に入った。ちゃんと道があるので、ここは外国人観光客の観光ルートになっているようだ(写真)。
岩塩に細い横線がびっしり
ある岩塩ビュートをよく観察すると、水平の縞模様が数十本も入っている(写真)。
これは、塩が作られた乾燥期とわりと湿気が多く土が卓越していた湿潤期とが幾十度となく交代したことを物語っている。
それぞれを数十年と見ると、大雑把にこの岩塩層は数千年単位で形成された。その後に岩塩層が隆起し、露出して、風雨で削られた期間も数千年はかかっただろう。
ただ、ただの観光案内なので、そうした地質学的説明は一切なかった。こうした説明がなされれば、もっと興味深いのだが。
カラシニコフ抱えた兵士も気軽に被写体に
アメリカ西部のデスバレーさながらの超乾燥地なのに、警備兵が岩塩「モニュメント・バレー」を守っていた。ただ緊張した感じではなく、一行のおばさんが写真を撮りたいというと、簡単にOKし、ポーズまで作ってくれた(写真)。いつテロリストが襲ってくるか分からない状況なら、とても被写体になることを了承しないだろう。
腕にカラシニコフを抱えているので、兵士のにこやかな微笑とアンバランスであった。
他の兵士も、僕らの一行の要請に応じていた(写真)。
「ラクダ岩」を観る
一渡り、岩塩「モニュメント・バレー」を観て回ると、僕たちは4駆に戻る(写真)。
途中、ガイドが、「これはラクダ岩と言われている」と説明した岩塩の造形があった(写真)。確かに画面左の岩塩ビュートは、ラクダが座った姿勢に似ている。
アファール族にとって、砂漠でも飼育できるラクダは貴重な運搬手段だ。それだけラクダがなじんだ動物なのである。
昨年の今日の日記:「スターリニスト中国、『寝そべり族』に見られる若者たちの閉塞感の拡大」