ウクライナへのロシアの軍事侵攻が時々刻々と迫りつつあるように思われ、世界は緊張に包まれている。
 

「名ばかり大統領」だったトカエフだが​

​ そのロシアが実は今年、小規模軍事介入した、かつて旧ソ連の一部だったカザフスタンで、大統領トカエフ(写真)が思わぬ独裁的権限を固めつつある。​

 

 

​ カザフは、1991年に旧ソ連解体に伴って独立して以来、ナバルザエフ(写真)がずっと大統領に居続けた。国内で野党勢力が弱いから、独裁的権限を強め、2019年に現在のトカエフに大統領職を禅譲後も、まるで幕末薩摩藩の島津久光のように「国父」として実質的な独裁的権限を維持していた。​

 

 

 トカエフは、国家安全保障会議議長の「国父」ナバルザエフの前に影の薄い「名ばかり大統領」だった。

 その構造が、この1月上旬の大規模デモで一変した。
 

大規模な騒乱​

​ デモは、燃料価格の上昇に抗議する市民たちによってカザフ西部の都市で始まり、ナバルザエフとトカエフの強権支配に抗議する形で全国に広がり、この時点で明確な反政府政治デモとなった(写真)。​

 

 

 

​ そこに危機を感じたトカエフが軍も動員する形で強権的に弾圧(写真)、ロシア軍主体の旧ソ連の近隣諸国軍も導入し、武力鎮圧した。政権側の公式発表でも、死者は227人に達した(西側の記者たちが見ていなかったので、おそらく4桁の死者が出たのではないか)。また逮捕者は1万2000人以上にのぼったから、かなりの規模の騒乱に近い反政府デモだったことが分かる。​

 

 

 

 

 

 

 この稀な「流血の大弾圧」は、決断を下したトカエフの権力を一気に高めた。

 デモのスローガンが、「ナバルザエフ体制の打倒」を掲げていたから、ナバルザエフは責任を問われる形になった。

 騒乱の5日後、ナバルザエフは国家安全保障会議議長を解任され、トカエフが後任に就いた。

 もはやナバルザエフは反撃もできず、「私はすでに年金生活者だ」とビデオ声明を発して、引退を公表せざるをえなかった。
 

人口の0.001%、極小数の特権層が富の5割を握る​

 カザフの民衆が、騒乱に近い反政府行動に立ち上がったのは、同国でのナバルザエフら特権層による富の独占がある。

 国際会計事務所グループのKPMGによると、2019年時点で人口の0.001%が富の約5割を握っている。この特権層の162人は、それぞれ5000万ドル(約57億円)を超える資産を保有するという。

 この162人は、ほとんどがナバルザエフの親族や手下だ。

 まさに国家が「国父」によって私物化されていた!

 今後、この富をめぐって、トカエフとその一族、さらには親トカエフ有力者が奪回に動くに違いない。

 民主主義の無く、自由なメディアの監視も無い国の腐敗は、とめどもない、ということだ。そして世界から支援されることなく、強権独裁者に弾圧されて亡くなったカザフの犠牲者たちに深い哀悼の念を捧げる。


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