昨日は、2つの12月8日の節目の記念日だった。1つは1941年の太平洋戦争開始80年であり、もう1つは日本に直接は関係しないが、世界史的イベントとしては引けを取らないソ連解体30年である。


この日、ソ連構成主要共和国3国首脳が集まり、ソ連に引導渡す​

 太平洋戦争開始80年については、あちこちで報じられているので、ここでは触れない。本ブログでは、後者のソ連解体30年を取り上げる。

​ 1991年のこの日、今は強権のルカシェンコの支配するベラルーシのポーランドとの国境に近いビャウォヴィエジャの森の中の別荘に、3人のソ連構成主要共和国首脳が集まり、ソ連の消滅をビラヴィェーシュスカヤ合意を宣言したのだ。
 これに参加したのは、エリツィン・ロシア大統領、クラフチュク・ウクライナ大統領、シュシュケヴィッチ・ベラルーシ最高会議議長である(写真=右からエリツィン、シュシュケヴィッチ、クラフチュク3氏)。ちなみに同森は、ヨーロッパ最後の原生林として、ベラルーシ側は翌1992年に世界遺産に登録されている。​

 

 

 世界は、もはやソ連は解体寸前だと認識していたが、ビラヴィェーシュスカヤ宣言により、ソ連は正式に消滅し、最後までソ連大統領の椅子にこだわっていたゴルバチョフも、同月末に大統領を辞任した。


3カ月前のクーデターが分岐点に​

​ 「悪の帝国」ソ連解体は、ポーランド自由選挙による民主化に続いてラッシュとなった1989年の東欧民主化の最終章を画すものであり、実はこの年の8月19日に起こった守旧派によるクーデター事件でエリツィン・ロシア大統領と市民の後押しを受けて、クーデターを粉砕したことによる結末であった(写真=クーデター側の戦車の周りを取り囲んで抵抗する市民たち)。​

 

 

 ソ連旧体制に未練を残す守旧派どもに引導を渡すことになったクーデターでは、クリミアでクーデター勢力に幽閉されていたゴルバチョフ大統領がエリツィン・ロシア大統領に救われた形になり、両者の力関係がそれを境に逆転した。エリツィンは、クーデターを粉砕した英雄であり、惨めに幽閉されていたゴルバチョフはエリツィンに命を助けられたからだ。

 それからは、ソ連情勢は日々、急展開を続け、12月8日のビラヴィェーシュスカヤ宣言に至った。


スターリニスト中国と同盟結ぶ、ウクライナに脅威を与える​

 共産党の総本山の空中分解により、世界は民主主義陣営の側に大きく傾いた。アジアには中国、北朝鮮ならず者集団、ベトナム、ラオスに、そして中米にキューバのスターリニスト国家が残るものの、ソ連解体後の後継国家であるロシアが民主化したことで、世界は束の間の安息の時代に入った。

​ しかし、それもエリツィン大統領の急速な民主化・自由化の失敗で、ロシアが経済的、社会的に大混乱に陥ったことにより、市民の民主化疲れが深刻化し、最終的に2000年のプーチンの大統領就任で終わりを迎える(写真=大統領就任式のプーチン、右はそれを見守るエリツィン)。​

 

 

​ 今、ロシアは、さながらソ連時代のような抑圧体制で、今やかつてのソ連をも上回る抑圧強権国家になったスターリニスト中国と同盟を結び(写真)、ウクライナに武力で脅威を与えている。​

 


昨年の今日の日記:「長崎・五島、世界遺産の旅②:早朝、暗いうちに石田城(福江城)跡を散策」