先クローヴィス期のエドモントン以南の北米と南米への人類の拡散については、およそ1世紀にわたる論争の的になっている。最近は、南米チリのモンテヴェルデ遺跡の1.85万年前、テキサス州のゴールト遺跡での2万年前という考古証拠が見つかっているが、なお異論は残っている。


10代の若者と子どもたちの足跡​

​ しかしイギリス、ボーンマス大学のマシュー・ベネット教授らの、ニューメキシコ州ホワイトサンズ国立公園の2.3万~2.1万年前(LGM:最終氷期極大期)の地層から発見された人類の足跡に関する報告は、この議論に決着をつけるかもしれない(写真=発見されたヒト足跡)。報告は、アメリカの科学誌『サイエンス』9月23日号に掲載された。​

 

 

 

 ここからは、過去にもクローヴィス期の大量の人類足跡化石が、地上棲オオナマケモノやマンモスの足跡などと共に見つかっていた。

 今回見つかった足跡も一次堆積の状況で見つかり、足跡は付いた表面で固まっていた。これらの足跡を詳しく分析した結果、大半が10代の若者と子どもの足跡で、より大きな成人の足跡はごく少なかったという。
 

植物種子の放射線炭素年代測定​

​ 研究チームが結成され、バスケットボールコート半分ほどの広さの遺跡で発掘調査が行われた(写真)。発掘の結果、足跡を含む層準が8つ発見され、10大や子どもを中心とした最大16人が残した計61個の足跡が見つかった。複数の足跡の層準が、上下をカワツルモの種子を含む堆積物の層に挟まれていた。​

 

 

 

 ここから種子の放射性炭素年代が測定され、動物たちを含む人類がこの草むらの道を、2万3000年前~2万1000年前までの、少なくとも2000年間にわたって歩いていたことが示された。なおこの年代は、この調査地点1カ所の足跡だけで、ホワイトサンズにある他の多くの足跡の年代はまだ不明という。
 

375万年前の最古のアファール猿人足跡発見以来、ホモ・エレクトス足跡など続々​

 古代人の足跡は、奇蹟的な偶然が重ならないと見つからない。石器と違い、保存されることはないし、それをたまたま発掘できても視認できない、と考えられたからだ。

 したがって初めて1976年にタンザニアのラエトリで375万年前のアファール猿人の足跡化石がみつかった時は、世界中をセンセーションに巻き込んだ。

 その後、考古学者や古生物学者が注意すればヒト・古脊椎動物の足跡化石は見つかるということが周知されて、各地で古人類足跡化石の発見の報があった。

​ 初期ホモ・サピエンスの足跡やネアンデルタール人の足跡も見つかり、さらに2009年には、今回のホワイトサンズ国立公園の先クローヴィス期のヒトの足跡を報告したマシュー・ベネット教授らが東アフリカ、ケニア北部のイレレットで、152万年前のホモ・エレクトスと思われるヒト足跡化石の発見を報告している(写真)。鳥類、ライオン、アンテロープ(羚羊類)など動物の足跡も伴っていた。

 

 


足跡化石はヒトの存在の疑う余地の無い証拠​

 その他、昨年にはアラビア半島の旧アラタール湖で11.5万年前のヒトの足跡化石発見の報告もあった(20年10月12日付日記:「砂漠のアラビア半島で11.5万年前のホモ・サピエンス(?)の足跡を発見、南回りの拡散ルートか」)。

 また同じホワイトサンズ国立公園の別地点で、もう少し新しい母子と思われる2人の足跡化石も見つかっている(20年10月31日付日記:「1.2万年前頃、何を思って母子2人は雨の荒野を急いでいたのか? 米ホワイトサンズ国立公園でクロヴィス文化期の大量の足跡発見」を参照)。

​ 足跡化石は、疑う余地の無いヒトの存在を物語る。古人類では、ロコモーションや体格の推定などにも重要な情報源となる。今回の先クローヴィス期の足跡が問題となるとすれば、放射線炭素年代の信憑性だけだが、それもいずれは報告された年代で決着するだろう。

昨年の今日の日記:「鉄とニッケルで出来た小惑星プシケの謎(前編):純粋な鉄・ニッケル隕鉄は先史人にも利用されていた」