アメリカ軍が、史上最長の20年の戦争を終えた。撤退最終日の1日前の8月30日深夜、最後のアメリカ軍将兵がカブール空港を撤収した(写真=30日、カブールの空港で、空軍輸送機に乗り込むアメリカ軍兵士ら)。
撤収やむなし、しかし見通しは甘く
2兆2610億ドル(約250兆円)もの多額の戦費と約2500人の軍兵士の死者を出しながら、全く得るところのない「敗戦」である。
最後は、惨めに過ぎた。敗戦撤退戦の最中の26日、テロリストIS-K(「イスラム国ホラサン州」)の追い打ち自爆テロで13人ものアメリカ軍兵士を新たに死なせてしまった(写真=負傷して搬送される市民)。
バイデン大統領のアフガン撤退の決断そのものは、やむをえない。限られた軍事資源を対スターリニスト中国に振り向けるために、これ以上成算の無いアフガン戦争に関わっていられないというのは正解である。しかし、撤退発表後のアフガン情勢の見通しは甘く、やり方も拙劣であった。
おそらくアフガン戦争を担っていた中央軍と、すりあわせがうまく行っていなかったのだろう。そして8月月内完全撤収だけしか念頭になかったに違いない。
イラン、米大使館占拠と人質とのアナロジー
アメリカ国内では、イラン・イスラム革命後のテヘランで起こった受難と重ね合わせるむきもあるという。革命を担ったイスラム原理主義政権とうまく調整できず、アメリカ大使館が若者たちに占拠され、多数の大使館員が人質にされた(写真)。
長期間の拘禁の後、軍を送って救出作戦を行ったが失敗、この作戦に従事したアメリカ軍兵士8人が死亡する、という「大惨敗」に終わった。
アメリカ大使館員人質事件と救出作戦失敗の責任を問われ、国際間隔の乏しいカーター大統領は1期で終わった。
アメリカ軍協力者など多数置き去り
撤収作戦も、完全ではなかった。なおアフガン国内には100人~200人のアメリカ人が取り残されているというし、アメリカ軍に協力していてタリバーンに追及される懸念の強いアフガン人が数万人も置き去りである。
アメリカ国内では、在米アフガン人の中にバイデン政権に対し激しい怒りが渦巻いている。
ただ、こうした事態に至ったのも、アフガン人の自己責任とも言える。残酷で邪悪なタリバーンに対し、アフガン人はなぜ武器を手に戦わなかったのか。30万人の腐敗したアフガン政府軍に任せっきりで、彼らがタリバーンの攻勢の前に戦わずして逃げ去るのを傍観していたではないか。
民族音楽の歌手、惨殺
タリバーンは、カブール制圧後に国際メディアに対し、宥和姿勢を示し、欧米諸国の不安を宥めようとした(写真=17日の記者会見で外国メディアを宥めるタリバーンの報道担当、ザビフラ・ムジャヒド)。しかしAP通信によると29日、タリバーン戦闘員がカブール北部の民族音楽の歌手を急襲し、殺害したという。音楽やテレビを敵視するタリバーン旧政権時代そのものである。
1996年~2001年までのタリバーン統治時代、女性は学校や仕事にも行けず、ひたすら住居内に閉じ込められていて、さながら牢獄に置かれた状態だった。アフガン内外の女性たちには、その再来を恐怖する人たちが多い。タリバーンからは、女性を抑圧しないという保証も取り付けられなかった。
タリバーンに譲歩もさせられず逃げ出したバイデン政権というイメージは、今後、アメリカ国内外でバイデン大統領に付きまとうことだろう。
昨年の今日の日記:「自民党総裁、早くも管官房長官で決まりの情勢;多難な外交を裁けるか、イマイチの不安」