あるサイトでブログを書き始めて、はや14年が過ぎ、先月11月から15年目に突入である。
 

身辺雑記に留めないことが継続の秘訣​
 この間、次第に形式が整い、現在のようになった。途中、挫折もせず、よく続いていると我ながら感心する。2005年11月から始めた。記念すべき第1回は、「ダーウィン進化論危うし」というタイトルで、アメリカのエセ科学である「インテリジェント・デザイン論」という新創造説を批判的に短く紹介した。
 最初は、飛び飛びの日のアップだったが、1カ月ほどで、ほぼ毎日アップとなった。そろそろ通算5000回に届く頃だ。
 継続している秘訣は、テーマ・ネタを身辺雑記に留めないことだ。身辺雑記では、いずれは必ずネタ切れとなり、次第にサイトから遠ざかり、休眠状態か退会、となる。


深いバックグラウンドが必要​
 ブログを継続していくために、勉強を怠れない。深いバックグラウンドも無いままに時事ネタを書くと、その薄っぺらさを曝け出し、後で恥をかくことになる。第一、後で読み直すと、「こんなもの、書くんじゃなかった」と激しい自己嫌悪に陥る。
 現代史、進化生物学、古生物学、考古学、天文学、経済などでは、これまでの何十年かの蓄積があるから、ある程度、体裁は整う。
 ただほぼ毎日更新だと、時にはやや軽薄なものも出てきてしまう。自分でもよく書けたと思い、後々も読み返すものは、そう多くはない。
 

​​海外旅行の紀行、未完結も​
 このブログの特徴の1つは、旅行記の多いことだろう。年に1~2回、海外旅行に出かけるほか、出張以外に国内旅行には5~6回、出かける。
 旅行記は、僕の備忘録も兼ねている。
 帰ってきて、数百枚、時には1000枚近い写真を整理し、これはどこだったかを記録を基に思い返す。しかしそれだけに長くなり、「エチオピア紀行」は、旅行そのものはもう4年近く前なのに、途中休止状態だ。エチオピア紀行でも最大の見物だったダロール地溝帯とダナキル砂漠にはまだ筆が進んでいない(写真)。

 

 


 「イスラエル・ヨルダンの旅」も、まだとば口のペトラ探訪記で止まったままだ(写真)。「ネパール紀行」も、いつ再開できるか、目途もつかない。

 

 


 先日、「樺太紀行」は、やっと完結した。その前に行った「NZミルフォード・トラックを歩く」も、何とか完結できた。
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ついに行けなかったエアーズロック(ウルル)​
 今年年初に右腕を骨折したので、最初は6月ぐらいに行きたいと思っていたエアーズロック(ウルル=写真)はついに行けずじまいで、10月末の登頂ラストを迎えてしまった。実はエアーズロックには、20年近く前に行ったことがあるのだが、「雨男」らしく雨に遭い、登頂禁止となり、再チャレンジを探っていたのだ。

 


 もうエアーズロックは登れない。
 それが今年の残念、である。​

 

昨年の今日の日記:「スポーツ紙の憂鬱、どうする、どうなる? 来年10月の消費税上げ」