鉄道マニア=「テッちゃん」にはよだれが流れ落ちそうな鉄道歴史博物館の日本統治時代の展示である。
 日本語とまでは言わないが、せめて英語の説明がロシア語説明に併記されていれば、少しはわかるのだが。
 

​​統一感のない展示、だが豊原市街の古マップには興味
 なぜこんなものまで、といぶかしい展示もある。最近の朝日新聞だ。紙面を開いた所に、軌道付け替えの記事があった。おそらくウラジオ駐在の特派員がこの鉄道歴史博物館に取材に訪れ、その掲載紙を送ってきたのだろう。むろん博物館のスタッフは記事は分からないが、写真で軌道付け替え工事が進んでいるということは分かる。だから、展示室に置いたのだろう。
 もっと分からないのは、戦前の豊原市街図である(写真)。現・ユジノサハリンスクだが、この地図によって、豊原市が北海道の札幌市などと同じように、碁盤目状に整備されていったことが分かる。
 それは、僕には極めて興味深かったが、なぜ「鉄道歴史博物館に?」と思うのだ。



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豊原高女、樺太庁博物館も
 この地図は、東西が縦に横倒しに表記されている。地図の下の方、すなわち西に、南北に走る樺太鉄道と中間に豊原駅が描かれている。
 豊原駅の真上を縦方向に、すなわち東西方向に真っ直ぐに走る大通りが、今の共産主義者大通り(Коммунистический пр.:コムニスチーチェスキー・プロスペクト)である。
 その通りをずっと上に(東に)たどっていくと、数ブロックを占める広い敷地の大きな建物がある。これは、豊原高女だ。旧制高等女学校は、こんなに大きかったのだ。
 そのすぐ上(東)の逆「コ」の字形の小さな建物は、旧樺太庁博物館(現・サハリン州立郷土博物館)である(写真)。ここを、僕は2度訪れた。



​​​豊原中学、豊原公園も
 すると、位置関係から、おそらく木造校舎だった旧・豊原高女は戦後に取り壊され、今のチェーホフ記念サハリン国際ドラマ劇場(写真)になっていると推察される。僕は、ホテルのすぐそばのこの建物を、それと意識することなく、何度も行き来していたわけだ。

 


 さらにこの上(東)のやはり数ブロックを占める広い敷地の大きな建物が、旧・豊原中学である。むろん、今は残っていない。ただ、ここまでは歩いて行っていないので、今は何があるのか分からない。
 そして大通りが行ききった所の左(北)にある広大な公園が、雨の一昨日に訪れた旧・豊原公園(現・ガガーリン記念文化公園)である(写真=旧王子ヶ池)。

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青春期に豊原で過ごした人なら……
 公園の左(北)には、ちゃんと王子ヶ池が描かれている。この地図が手元にあれば、もっと街歩きが楽しくなったであろう、と思うと、最終日にしかお目にかかれなかったのが残念だ。
 昔、豊原で青春を過ごした人々は、今、ほとんど亡くなっているだろう。しかしもし元気で、しかもなお足腰がしっかりしているなら、きっとこの地図と今のユジノサハリンスクは懐かしくて涙を流すと思う。ユジノサハリンスクや豊原に縁もゆかりもない僕ですら、懐かしく思い出すのだから。​

 

昨年の今日の日記:「世界遺産のヨルダン、ペトラ遺跡での大激流と砂漠景観のワディ(涸れ川)の危険性、320万年前のヒト族の犠牲を例に」