世界の社会民主主義政党の凋落は久しいが、ドイツ社会民主党(SPD)は著しい。
SPDと言えば、19世紀後半と20世紀前半、世界史を動かした社会主義政党である。19世紀後半、マルクスとエンゲルスの肝いりで創設された後、軍国主義的なドイツ帝国で労働者の代表として、選挙のたびに帝国議会で大幅に議席を伸ばした。
第一次大戦後は政権政党に
後のドイツ共産党の創設者でポーランド生まれのローザ・ルクセンブルクも、当時の帝政ロシア領だったポーランドからドイツに移り、SPDに参加し、若い女性左派活動家として頭角を現した。
第一次大戦後の1918年のドイツ革命では、左派労働者に突き上げられてしぶしぶと帝政打倒の一翼を担い、後にワイマール共和制の有力な政権政党となった。ただSPDは、党内対立を経て、極左派(スパルタクス団、後のドイツ共産党)、左派(独立社会民主党、後に多数派はドイツ共産党に合流)を排除しているから、保守層と紙一重の差しかなかった。
戦後も東西分裂後の西ドイツで保守のCDU(キリスト教民主党)と競い、何度か政権に就いた。現在のメルケル政権では、連立政権の一員として参加している。
拠点のブレーメン州でも退潮顕著
SPDは、しかし1980年頃から市民派・環境保護派・非労組左派の票を「緑の党」に食われ、2017年の連邦議会選挙では党史上最低の得票率の4分の1政党に転落した。
その低迷は、去る5月27日にSPD地盤のブレーメン州議会選挙で露わになった(写真=ハンザ同盟以来の伝統あるブレーメン市)。ブレーメン州は、1918年のドイツ革命時には「ブレーメン左派」の拠点となり、戦後も強力な労組の支持でずっと州議会第1党として州政権を担ってきた。
ところがこの選挙で、CDUに第1党を許したばかりか、第3党の緑の党に急追された。
さらに同日に行われた欧州議会選挙でも、得票率が15.8%と、前回14年の選挙より11ポイント以上も下落し、緑の党に抜かれ第3位に後退した。
敗北の責任を取り、18年4月に党史上初の女性党首として再建を託されたアンドレア・ナーレス党首が2日に辞任表明した(写真)。それでSPDの退潮を食い止められるか、疑わしい。
歴史的役割は終わった
世界の社民政党は、みな落ち目で、中には日本の社民党のように解体寸前の党もあるが、SPDの退潮もその趨勢上にあるとも言える。ただSPDが支持基盤とするドイツ労働総同盟の組織率も激減している。1990年代に4割近かったものが今は2割を切っている。
この労組依存体質が、中産階級市民に嫌われ、緑の党に食われる根源となったのだが、依存すべき労組がこれでは「じり貧」もむべなるかな、である。
党の体力も衰えている。党員数は、東西ドイツ統一後の90年には100万人近かったのに、今は44万人と半減している。
このように見れば、前述のように誰が党首に就こうと、党の浮上は望み薄である。
むしろ歴史的に見れば、150年の歴史を持つSPDの役割は終わった、ということではないだろうか。
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