26日、北海道東部の佐呂間町で39.5℃と、5月としては明治に観測開始以来、日本の最高気温を記録したのは驚きだった。他に帯広の38.8℃など、道東各地で最高気温ラッシュとなった。
 5月に最高気温を記録したのが、ふだんは冷涼な道東部だったのは、例年にはない高温の気団が北日本などに覆っていた他、東風が吹いて、これが大雪山や日高山脈を越えて吹き降り、フェーン現象を生んだからだ。

 

青年期にツンドラ景観が壮年期に森に変わるという急激な気候変化
 ただこうした日も、滅多にはないが、100年単位の間には時にはあり得る。
 しかし、若かった頃の冷涼なツンドラ景観が、壮年になったら緑の茂る森となるといったという、人間の生涯のうちに劇的に環境が変わったことは、少なくとも文字記録の書かれるようになってからはない。グリーンランドの氷床から採取したアイスコアから、明らかになった。
 だが1万年ちょっと前、それが起こった。
 氷河期末、地球は少しずつ間氷期の温暖化に向かっていたが、今から1万2900年前、急激な「寒の戻り」であるヤンガー・ドリアス期が突然に始まった。地球最後のこの亜氷期は、1400年ほど続いて、1万1500年前頃に完新世の後氷期に入った(ポレボレアル期という)。のやや右側の↑をつけた期間が、ヤンガー・ドリアス期である。

 

個人が気候変化を体感できた唯一の時期
 ヤンガー・ドリアス期の終了は、まさに急激だった。40~50年の間に5年程度の3つの段階をへて、温暖化が進んだのだ。この間、数年で7℃という非常に急激な温暖化があった。
 それが、前記の景観の急変である。おそらく長い人類史で、個人がそれを体感できたのは、この時だけ、すなわちヤンガー・ドリアス期終了から後氷期の始まりの間だけだった。
 この温暖化で、中東各地に初歩的な農耕社会が生まれた。ただそれ以前、つまり1400年前のヤンガー・ドリアス期開始期の寒冷化(これも急激だった)で、中東のワジ・アン=ナトゥーフで人類最初の定住化村落が興った。人々は、世界で初めて石壁の恒久的集落を造ったので(写真=ナトゥーフ文化の恒久的石造住居)。

 


 これを、考古学ではナトゥーフ文化という。

 

最初の定住村落ではまだ農業は行われず
 ナトゥーフ文化は、まだ農耕を始めておらず、大麦などの野生穀物や豆、アーモンド、ドングリ、ピスタチオなどが採集されて食用にされていた(写真=野生穀物などを粉に挽く石皿と磨り石)。また近くの疎林を訪れるガゼルも盛んに狩猟されていた。

 


 この文化は、やがてヤンガー・ドリアス期の終了による気候温暖化で、前述のように初期農耕村落が生まれる。人々は、野生の穀物を栽培化し、食料の生産を始めたのだ。
 これにより人類史は、文明化への胎動を始める。

 

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