雨のエチオピアは、しかし長続きしなかった。峠を下ると、再び赤茶けた荒涼とした景観に戻る。
 久々のエチオピア紀行である。前回まではダロール火山のあるダナキル低地への入口都市メケレを出発するまでを述べてきた。いよいよ砂漠の低地ダナキル地方に向かう(写真)。

 

 

 

あっという間に子どもたちが集まってきた
 四駆がとある村に入った。メケレのアッディ・ハキ市場を後にしてから1時間半ちょっとたっている。僕たちの乗った四駆の先頭車両が、その一角に停車した。そこは、おそらく日本で入手できる地図では決して表記されない小さな村だ。
 運転手(もちろんエチオピア人)が村長らしい老人と話している。見ていると、どこから伝え聞いたのか、どんどん子どもたちが集まってくる(写真)。

 


 まだお昼前だ。2部制授業でも、午前部生にしては下校が早すぎる。たぶん学校に行っていない子どもたちだ。この後、僕たちは村の小学校に案内され、多数の子どもたちに囲まれるから、就学児以外にも多数の未就学児がいるということだ。
 一方で、手に教科書らしい物を持った一団の子どもたちもいた。彼らは、これから学校に行くのだろう(写真)。

 

 

 

村ごとの小規模太陽光発電所があれば
 周囲を見渡すと、礫だらけ。そして建物も、礫を積んで造っている。とても肥沃な土壌の土地ではない(写真)。

 


 電線が渡されているから、電気は来ているのだろう。
 エチオピアでは、まだ1度も発電所を見たことがない。水がない荒れ地ばかりなので、水力発電所は建設できない。乾燥しているから太陽光発電には打ってつけなのだが、これまで太陽光パネルも1枚も見ていない。きっとどこかに中規模の火力発電所があり、そこから配電されているのだ。その火発も、貴重な石油を使っているのかもしれない。
 日本がODAで、村ごとに小規模太陽光発電所を造ってやれば(そうすれば配電システムは不要だ)、感謝されるのだろうが、そこまでは目配りできないようだ。
 このままではスターリニスト中国の高利の資金が流されて大規模な太陽光発電所が拠点ごとに造られ、人民は高い電力料金を収奪されるだろう。

 

村の家庭に案内される
 村長らしい老人と話し終わると、運転手は僕たちを案内し、どんどん村の中に入っていく。
 小屋は、一間きりの掘っ立て小屋で、それがびっしりと立ち並ぶ。
 ある家庭に案内された。

 

昨年の今日の日記:「衆院選、選挙駆け込み寺の『希望の党』に与党自民党が負けないと思うこれだけの理由」