アクスムの「シバの女王の宮殿」跡を観た後、メケレまで車を飛ばす。
途中、5時間に及ぶドライブでは、アビシニア高原の荒々しい景観を堪能できた。
途中、奇岩、奇勝の連続
道中は、モニュメント・バレーのような景観、深い峡谷も見られたから、ほとんど飽きることはなかった(写真)。ただただ自然の造形に、魅入られるばかりだ。
1本指が突き出たような奇岩も見えた(写真)。これは、ゴンダールに行く途中に観た「神の指」の岩と同類である。玄武岩と思われる堅い岩だけが取り残されて、後は浸食で失われたのだ。
例によって斜面には、びっしりと段々畑だ。アビシニア高原のどこにでも見られる風景である。
零細農業が土地を荒廃させる
昔は緑で覆われていたであろうアビシニア高原は、今は全土にわたって木が切られてほぼ禿げ山である。すると、たまに大雨が降ると、激しく高原は浸食され、こうした景観を創り出す。そして土壌は、失われていく。
一番の処方箋は、無理に開拓して畑にした段々畑を森に戻し、工業を振興させ、農民は工場での賃金労働者に変わることだ。そうすれば、これ以上の途上浸食は防げるだろう。
こうした狭隘な段々畑では生産性は上がらないから、農民はいつまでたっても貧しいままだ。それならその労働力を付加価値を生む工業に転用した方がずっとよい。
過剰な人口の圧力が貧困を助長
しかしすべては、貧しさが邪魔をする。それを断行できるだけの補償を政府はやれるのか、と問われれば、絶対無理、という答えになる。
かつてメンギスツ共産政権は、集団化で農業の大規模化を図ったが、暴力だけで強制しようとしたため、多大な飢餓と土地の荒廃を招いただけで失敗した。
それに、適正規模を5倍は上回っていると想定されるはるかに過大なエチオピアの人口。
アフリカの貧しさの難しさである。
昨年の今日の日記:「イギリスのEU離脱(ブレグジット)で再燃するスコットランド独立機運;『沈み行く船と命を共にできるか』」