ラリベラ空港をオンボロ・ボンバルディア製エチオピア航空機で飛び立った僕たちの飛行機は、アクスム目指して北に進路をとる(写真=アクスムの象徴であるステラ。ステラについては、後日の日記で詳しく取り上げる)。

 

 

アクスム=サブサハラ最古の王国
 アクスムは、エリトリア国境に近いエチオピア最北部に位置する。したがって紅海とアラビア半島のイエメンにも近い。
 熱帯アフリカは、低地はツェツェバエや蚊など、悪疫を媒介する吸血昆虫が多い。したがって高原にしか人が住めない。少なくとも先史時代は。
 アクスムは、アビシニア高原の最も北端に位置する(写真=飛行機から見たアビシニア高原北部)。昔、アラビア半島を通じて、先進地の中東から様々な文物が到来したのだろう。

 


 ここに、サブサハラ最古のアクスム王国が勃興した(なお、古代王朝が栄えたエジプトはサブサハラではない)。

 

「皇統3000年」の由来
 紀元前数世紀に登場したアクスム王国はインドやローマ(後に東ローマ帝国はアクスムに多大な影響を与えた)と交易し、その富によって栄えた。アクスムは、象牙・鼈甲・金・エメラルドを輸出し、絹・香辛料・手工業製品を輸入した。
 アクスム王国の王たちは、ソロモン王とシバ(サバ)の女王の子であるメネリク1世の血筋を引いていると主張した。なおソロモン王は、紀元前10世紀の古代イスラエル王国の賢王であり、その名声を聞いたシバの女王は、砂漠を突破し、パレスチナまでわざわざ会いに行ったとされる(2012年4月24日付日記:「カラオケ曲から連想した伝説の『シバの女王』は実在したのか;ジャンル=世界古代史」を参照)。
 その故事を引いて、1974年にマルクス主義者らによる軍事クーデターで廃位されたエチオピア帝国の皇帝ハイレセラシエも、自らの血統を「皇統3000年」と誇った。

 

アフリカで最初に貨幣を作る
 またアクスム王国は、エジプトも含めたアフリカで、最初に独自の通貨を作ったことでも有名だ。エンドビス王からアルマー王までの治世の間(紀元約270年から同670年まで)、同時代のローマの通貨を模倣した金貨や銀貨、銅貨が鋳造していた(写真=エンドビス王の横顔を図案にしたアクスムの通貨)。

 


 通貨を作ったことにより、アクスム王国とローマ帝国など周辺国との交易はさらに盛んになった。

 

空港の土産物屋でアクスム貨幣を見つけるも時間なし
 ちなみに僕は、このことを知っていたから、アクスム空港に着いた時、土産物屋をのぞき、当時の通貨があれば買いたいと熱望した。実際、ある土産物店で、僕のリクエストに応じて店番がどこからか出そうとしていたが、残念、集合がかかって、値段の交渉にすら入れなかった。これが団体旅行の辛いところだ。
 売っていたとしても偽物だったかもしれないが、ウインドーの隅に確かにアクスム王国のコインが展示されていたのだ。これは、今も残念だ。

 

キリスト教を初めて受け入れた王国もアクスム
 さらにアクスム王国は、サブサハラで初めてキリスト教を受容した国でもある。エザナ王の時代の紀元325年か328年に、アクスム王国にキリスト教が伝来した。
 だがせっかく開いていたキリスト教というローマとの窓も、その後、イスラム教が周辺諸地域に広がったために遠いローマ帝国から孤立して閉ざされたし、巡礼の地でもあったパレスチナからも隔離された。
 それを憂いて、紀元10世紀頃に岩山を削って岩窟教会を建設したのが、ラリベラ王であった。
 さて、僕の乗ったオンボロ・エチオピア航空機は、順調に飛行を続けた。前の座席の背にあるポケットは、あちこち破れていたけれど(写真)。

 

 

昨年の今日の日記:「なぜ日本の陸上短距離走競技陣はリオで惨敗するのか、世界水準に行けない理由を動物学的に解く」