中東の小さな軍事大国イスラエルはユダヤ人国家だけれど、単民族・多人類集団国家である。
 この中で比較的大きな比重を占めるのが、ロシアから移民してきたロシア系ユダヤ人である。

 

ソ連ブレジネフ政権の頃に最初の移民の波
 前回の日記(6月13日付日記:「6日戦争から半世紀、中東の小さな大国イスラエルの地位を盤石にしたアラブ撃破の戦争」)でも書いたが、実質上の首都であるエルサレムのあちこちにキリル文字表記のロシア語看板が目立つ。総人口800万人余のイスラエルで、国民の20%以上が日常的にロシア語を話すという。彼らの故郷は、旧ソ連・ロシアなのだ。
 帝政ロシア期からポツリ、ポツリとパレスチナへ移住するロシア人家族はいたが、それが最初に、波として起こったのは、旧ソ連からイスラエルに移民の波で、1971年~1974年にかけてのブレジネフ政権の頃だった。

 

帝政による迫害でユダヤ人集団虐殺のポグロムが頻発、ロシア革命のタネ
 ロシア革命の偉大な指導者だったトロツキー、そして最高幹部の名を連ねたジノヴィエフ、カーメネフがユダヤ人だったことから代表されるように、ボルシェヴィキ党内には多数のユダヤ人がいた(ドイツ革命の指導者で、革命家としての第一歩を帝政ロシア領ポーランドで歩み始め、後に悲劇的な死を遂げたローザ・ルクセンブルクもユダヤ人であった)。
 ヒトラーがボルシェヴィキとユダヤ人を同一視したように(ドイツ出身のユダヤ人、カール・マルクスがマルクス主義を打ち立てたことも遠因にある)、革命家に極めてユダヤ人が多かったのは、彼らが帝政ロシアで常に迫害される虐げられた民族だったからだ。
 帝政ロシアでは、民衆から社会矛盾の目をそらすために、権力は陰に陽に無頼漢をたきつけてユダヤ人ゲットーを襲わせた。それが、ポグロムである。襲われたユダヤ人たちは抵抗の間もなく、暴行・略奪され、あるいは虐殺された。

 

シャガールの描いた木柵で囲まれたユダヤ人コミュニティー
 なお少し脱線するが、僕の大好きな画家の1人であるマルク・シャガールも、白ロシア(現ベラルーシ)出身のユダヤ人である。彼の「町の上」という絵(写真)は、シャガールが恋人ベラを抱えて故郷ヴィテブスクの街の上を飛んでいるところを描いているが、絵でも表現されているように帝政ロシア期のユダヤ人コミュニティーは、このように木柵で囲まれていたのだ。

 


 ポグロムから自ら防衛するためなのか、それとも権力者がユダヤ人を一般ロシア人から隔離するためだったのか、あるいはその両方の目的があったのだろう。

 

日露戦争では欧米ユダヤ人バンカーが日本支援
 あまりに帝政の反ユダヤ主義が目に余るため、欧米のユダヤ系銀行家は、日露戦争に際し、日本を支援した。
 当時の国家予算の2倍に余る日露戦争戦費は主に外債で賄われたが、その外債を積極的に購入してくれたのが、ジェイコブ・シフ(写真)ら欧米のユダヤ人バンカーたちであった(15年1月18日付日記:「日曜日昼の楽しみ『坂の上の雲』再見とユダヤ系銀行家への謝意新たに;現代史、テレビ」を参照)。

 


 ところがロシア革命が成ったにもかかわらず、革命はスターリンの台頭で堕落した。
 党内から、トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ、ピヤタコフなど、ユダヤ系古参幹部が追放された。

 

スターリンによるでっち上げの反ユダヤの粛清――「医師陰謀団事件」
 スターリンがユダヤ人絶滅を推進するヒトラーと手を組んだことからうかがえるように、ソ連の独裁者となったスターリンはやがて反ユダヤ姿勢を鮮明にする。
 戦後間もない1953年1月、スターリンはアメリカの手先となってクレムリン要人の暗殺を企てたとしてクレムリン幹部主治医の高名な医師団9人を逮捕した。全員がユダヤ人だった。
 しかし逮捕の2カ月後、スターリンは急死する。粛清されそうになった医師9人は、すんでのところで命が助かったのだ。

 

6日戦争がソ連の反ユダヤ意識を高め、ユダヤ人の大量移民へ
 スターリンの反ユダヤ主義ほどではないが、その後もソ連共産党指導部は、決して表沙汰にはしなかったが、陰に陽にユダヤ系を圧迫した。
 特に1967年の6日戦争で、ソ連が肩入れしていたエジプトがイスラエル軍の前に完敗すると、ソ連は反イスラエル・親アラブの姿勢を鮮明にする。ソ連から援助されたエジプト空軍のミグ機が、イスラエル空軍の奇襲攻撃で大量に破壊されて野ざらしにされたことは、ソ連指導部の矜恃を深く傷つける、見たくはない風景であった。
 遠いこの中東の地政学的激変が、ソ連のユダヤ人をますます住みにくくさせた。
 前記の1971年~1974年にかけて、およそ10万人ものユダヤ人が、ソ連とその周辺国からイスラエルに移住した。彼らは、いわばソ連という国の「まつろわぬ民」だから、ほとんど着の身着のままでソ連からたたき出されたのだ。

 

経済混乱・破綻したソ連崩壊後のロシアから移民の大波
 次の移住の波は、ゴルバチョフ政権末期の1990年代初頭からソ連崩壊の頃である。
 この頃は、政治的に混乱し、経済が破綻状態の旧ソ連・新生ロシアからの脱出、であった。ユダヤ人たちは、破綻した貧しい国を捨て、支援の手を差し伸べた豊かなイスラエルを目指した。この時の移民の波は、第一波を上回る100万人規模に膨らんだ。
 周囲をアラブの敵に囲まれたイスラエルにとって、人材は何よりも欲しい「資源」だった。勤勉なユダヤ人が増えれば、経済は発展し、何よりも国防では重要な担い手になってくれたからだ。
 こうして今のイスラエルには、ソ連・ロシアからの移民が国民の20%超を占めるまでになったのである。

 

ロシア系政党「我が家イスラエル」は議会進出
 彼らは、政治的にも「我が家イスラエル」という政党を作り、イスラエル議会(クネセト)で、一定の議席を得ている。一般には、アラブ人とアラブ国家を敵視する右翼的な政党とみなされている。一時は、議会第3党に躍進したこともあり、現党首のアヴィグドール・リーベルマン氏は国防相を務める(写真=党首のリーベルマンをあしらった「我が家イスラエル」の大看板を背にイスラエルの少年たちが歩く)。

 


 リーベルマン氏も、むろん旧ソ連モルダヴィア(現モルドヴァ)出身の移民だ。
 欧米系のイスラエル国民は、まだしも出身国に愛着をもつが、ソ連・ロシア系イスラエル国民は、もはや帰る国を持たない人たちだ。強硬な反アラブ主義の背景には、それがある。

 

人口比に対し、突出するノーベル賞受賞者、金融界とメディア幹部
 ノーベル賞の受賞者はこれまで800人を超えるが、その少なくとも20%がユダヤ系だとされる。このようにユダヤ人は、勤勉であるために極めて優秀だ。
 研究者の他、全世界の金融界やアメリカの言論機関ではユダヤ人が多い。アメリカのユダヤ人は800万人ほどとされるが、金と言論機関を半ば支配するユダヤ系の影響力は大きく、したがってアメリカが親イスラエルであることは何の不思議もない。
 トランプ政権では、トランプ氏の娘婿のクシュナー氏のようにユダヤ人が大統領上級顧問として政権の中枢に座るまでになっている。
 ユダヤ系人口は、イスラエルを除くと世界総人口の0.1%程度しか占めていない。しかし経済的・政治的・科学的影響力は、それよりもはるかに大きいのである。

 

昨年の今日の日記:「本当に『ブレグジット』になるかも。マーケットの新たな見通しから、予断できない状況に」
昨年の明日の日記:「イチローの日米通算最多安打の新記録達成に抜かれたピート・ローズの残念な発言」
昨年の明後日の日記:「石油時代の黄昏、脱炭素化へと向かう社会でハイブリッド車も走れなくなる?」
昨年の19日の日記:「香港独立を目指す『本土派』が台頭、大陸の共産党への嫌悪感は露わ」
昨年の20日の日記:「エチオピア紀行(47):アビシニア高原で植わっているソルガムの実を初めて見る」
昨年の21日の日記:「エチオピア紀行(48):ティムカット祭の終わった最初の日曜日、結婚式の隊列に遭遇」
昨年の22日の日記:「政治と経済で八方ふさがりのロシア『帝国』を統べる孤独な帝王プーチン」
昨年の23日の日記:「何があったのか? 孫正義氏が三顧の礼で迎えたソフトバンク社副社長ニケシュ・アローラの電撃退任」
昨年の24日の日記:「若者ほど加重的投票権を与える『平均余命投票権』の提唱;シルバー民主主義を乗り越えるために」
昨年の25日の日記:「イギリス、まさかのEU離脱、世界マーケットが大動揺した日」

 

追記 本日を含め2回にわたって連載した「小さな大国」イスラエルと隣国ヨルダンのペトラ遺跡訪問のため、しばらく日記を休載します。宿願だったエルサレム訪問が楽しみです。