岩穴などを抜け、やって来たのは、ラリベラ岩窟教会群で一番規模が小さいと言われる聖アバ=リバノス教会だ。

 

本に載っていたモノクロ写真に感動
 聖アバ=リバノス教会の正面に立つ。
 これまでの岩窟教会と違い、正面だけが赤色凝灰岩の岩から削り出されている(写真)。

 

 

 実はこの教会は、だいぶ前に、ケンブリッジ大学出版会が出したアフリカ考古学(英文)の本に載っていたモノクロ写真で見たことがある(写真)。この本は1985年刊行だから、写真は70年代後半に撮られたと思われる。

 


 その写真では、教会の正面の裾部分は荒れすさびて、周囲の岸壁にも草や木が生え、古色そのもので、いかにも遺跡という感じだった。
 僕は、この本を読み、アフリカ奥地のアビシニア荒原にヨーロッパ人も長く知らなかった、こんな岩窟教会のあることに感動したのだ。

 

整備されすぎ? UNESCOの大鉄傘
 しかし今、僕が立ったその場は、UNESCOの手で丁寧に「整備」されていた。
 聖アバ=リバノス教会の正面は綺麗に磨かれ、両脇には教会にかけた大鉄傘を支える鉄柱が立つ。修築前の古色が一切なくなっている。
 本の写真の印象がひときわ強かっただけに、戸惑うほどだ。むしろ前のままであって欲しかった。
 なぜならラリベラ岩窟教会のことは、ケンブリッジ大学出版会の本で初めて知ったからだ。当時、日本の本で、遠いアフリカのラリベラ岩窟教会群のことを紹介したものは、なかった。ちなみに前に本ブログで何度か紹介した南部アフリカのグレート・ジンバブエの存在も、この本で知った。
 さすがアフリカに広大な植民地を築いていた大英帝国の伝統ある大学の出版会である。記述は充実していた。

 

ラリベラ王の妻が24時間で速成したという伝説
 今回のエチオピア周遊の大きな期待の1つは、このラリベラ岩窟教会を訪れることだった。UNESCOの保存事業は、ラリベラ岩窟教会群の魅力を損ねているように僕には思えた。
 ここも偽3階建て構造だが、偽2階にアクスム様式の窓がない。そして偽3階は途中でくりぬきが止められ、偽3階の上部は岩のままに放置されている。
 さらにくりぬかれているのは正面と内部だけで、両側面と背面は、岩からくり抜かれていない。
 この直前に訪れた聖エマニュエル教会の華麗さと大きな違いだ。
 伝説では、ラリベラ王の妻が24時間で造ったという。それだけ急いでいた事情があったのだろう。

 

昨年の今日の日記:「フィンランド(超短期)紀行12;さらばウスペンスキー寺院;紀行」