革命で、世界でも数少ないことにキューバで教育と医療は無料になった。それは革命キューバとフィデルの大きな成果だと言える。

 

ラテンアメリカに革命の輸出
 無料医療の実質化のため、医師養成には特に力を入れた。教師と医師の膨大な人的資源は、後に左派政権、特にチャベス政権のベネズエラに石油供給の見返りとして「輸出」された。ブラジルを除くスペイン語圏の中央アメリカと南アメリカは、また革命の輸出先ともなった。つい最近、サントス政権と和平合意した左翼ゲリラFARCのコロンビアもその1つだった。
 チェ・ゲバラの自己犠牲を目にした全共闘世代にとって、スターリニスト国家のソ連の衛星国になったキューバは、幻滅の対象ともなった。
 半面、1967年10月9日にゲリラ闘争を指揮していたボリビアの山中で政府軍に虐殺されたチェ・ゲバラは英雄となった。この前日、地球の反対側の日本では羽田闘争が起こり、警察機動隊との衝突で1人の学生(山崎博昭君)が亡くなっているから、全共闘系学生にとってまさにゲバラは我が身の心に響く理想の革命家であった。特にブント系のデモ・集会ではゲバラの肖像が目だった。

 

メキシコシティーの露店でも見かけたゲバラの肖像
 3年半前、僕はメキシコを旅したが、首都メキシコシティーの街頭の露店で、チェ・ゲバラの写真がたくさん並べられているのを目にした(写真)。その店には、まだ生きていたフィデルの写真は1枚も無かった。

 


 なおゲバラ人気は、今も形を変えて西側の若者にも受け継がれている。彼のひげもじゃの顔写真は、それと意識されずにTシャツなどにプリントされて売られ、夏には若者がファッションとして着ているのを目にする。

 

カミーロ・シエンフェゴス、チェ・ゲバラを失い、揺るぎなき独裁者に
 それに比して、ゲバラを追いやり、ソ連スターリニストの走狗となりはてたフィデルは、左翼の間でも人気を失った。
 80年代以降には、フィデルは若者たちから完璧に忘れられた存在になっていた。
 革命の三傑のうち、革命成就のその年にカミーロ・シエンフェゴスが、そして67年にチェ・ゲバラが亡くなり、カストロ唯一の親政独裁体制が完成したのである。
 キューバのミニソ連国家化への道であった。

 

不満分子国民をアメリカに追い出した「難民事件」
 80年代、完全に袋小路に落ち込んだフィデル・カストロは、自身の政権に批判的な国民を追い出す政策に転じた。不満をつのらせる分子たちを国内に留めておいても益は無く、むしろ不安定要因を抱える負担が増したのだ。
 例えば80年、キューバのマリエル港が半年間だけ解放され、12万5000人ものキューバ国民がカリブ海に漕ぎ出た。ただ巧妙にもカストロは、この中に2万人もの犯罪者・精神障害者を紛れ込ませたと言われる。
 その後もアメリカへの難民は途切れることは無かった。フィデルはまつろわぬ民を説得する道を放棄し、負担をアメリカに押しつける策に出たのである。
 カリブ海をゴムボートなどで漕ぎ出した難民は、150キロ先のフロリダを目指したが(写真)、かなりの難民がフロリダの沿岸まで到達できずに遭難し、サメの餌食になった。

 


 これは、当時のアメリカ社会に、エーゲ海や地中海に漕ぎ出す現在のシリア難民以上の衝撃と難民への深い同情、そして国民を抑圧するカストロ政権への憎悪を植え付けた。

 

経済破綻で食糧難、ドルへの渇望
 大量のカリブ難民が出たのは、自由もなく、国内の経済が疲弊していたからだ。それは、今も続く。
 原油や機械など、一手に援助してきたソ連が崩壊した後は、経済破綻はさらに顕著になった。商店には、コメもパンも肉も無く、海に囲まれた国なのに魚すら無かった。たまに雑魚が出ても、朝のうちに売り切れた。
 それでも外貨で買えるドルショップだけには食料品が売っていたから、国民は敵国の通貨であるドルを渇望した。
 アメリカに亡命している親族からの送金を得られればそこそこ生活できたが、そうでない国民は、数少ない外国人旅行者に群がり、ドルを求めた。
 ドルでチップをもらえるタクシー運転手は、花形の職業だった。教師も医師も、本職をそっちのけにしてタクシー運転手やガイドのアルバイトに精を出した。その頃、ハバナの夜の街頭で目だったのは、厚化粧した女性たちでもある。彼女たちはドルを持つ数少ない外国人にすり寄った。
 いくら食糧も家賃も安く、医療も教育も無料とはいえ、教師や医師の給料が月数千円規模では、闇で食べ物を買うだけで精一杯だったのだ。

 

相互監視の密告社会
 キューバ観光の目玉は、ハバナ市内の1950年代物クラシックカーだが、これは外貨不足と経済制裁で新車を輸入できないからだ(写真)。街には、補修されない崩れかけた建物も目立つ。それは、今も変わりはない。

 


 共産党一党独裁体制だけに、国民の不満を表面化させないように住民同士の相互監視、密告を奨励した。カストロ死去の報の翌朝、NHKがハバナ市民に向けてフィデルの死の感想を求めたが、異口同音に「偉大な指導者だっただけに悲しい」と語ったが、表情はちっとも悲しそうでなかった。密告社会で、誰が本音を言うものか!

 

マイアミなど亡命キューバ人社会はカストロの死に歓迎一色
 実際、キューバでの政治犯としての弾圧は増えている。昨年7月、オバマが亡命キューバ人など多くの反対を押し切る形でキューバとの国交を回復し、その時、キューバでの人権尊重の前進を条件としていたのに、見事にスターリニストに裏切られている。
 例えば政治犯としての逮捕件数は、13年には約6400件だったのに、今年は10月までに逆に9000件超となっている。今年1万件を突破するのは確実だ。
 そうした状況下で、カメラに向かって素顔の市民が死んだ独裁者を批判するはずはないのだ。
 だから本音は、自由の国でこそ赤裸々に表される。対岸のマイアミなどの在米亡命キューバ人たちは、キューバ国旗を手に街頭に繰り出してカストロの死に驚喜・乱舞し、車はクラクションを鳴らして喜びを表した(写真)。「生まれるべきでなかった悪魔」とまで罵倒する市民もいる。

 

 

 

トランプ次期大統領は国交回復見直しを発言
 そのような国家を青年フィデルは望んだのだろうか。少なくともバティスタ政権打倒を目指した青年革命家のフィデルは、そうではなかった。
 それが自由を抑圧するフィデルへの現在の妥当な評価だろう。
 なお昨年のオバマの国交回復という一方的「救済」は、共和党優位の上院の承認を回避する大統領令で強行したが、トランプ次期大統領は去る28日、キューバの自由、民主主義、そして市場経済が改善しなければ国交断絶に踏み切るとツイッターで示唆している。
 国交回復の食い逃げを許さないために、トランプ次期大統領はキューバの自由と民主主義の実現をラウル・カストロに厳しく迫るべきである。

 

昨年の今日の日記:「蒲郡クラシックホテルから三河湾の竹島へ早朝散歩;紀行」