実質エチオピアの4日目、日本発5日目の朝が明けた。
 起きてみて、全身に注意を集中させた。幸いにもダニに刺されていない! 用心をして、ベッドのシーツの上に日本から持参したブルーシートを敷いて寝たことが奏功した。

 

門衛らしい2人の男性、冷えるのか布をまとう
 起き出すと、例によって、早朝なので朝食までまだ時間がある。遠出はできないが、身支度を調えて、ラルホテルの近くを散歩することにする。
 ホテルは開いていた。深夜は、閉鎖しているのかもしれない。門衛らしい2人の男性がいた。熱帯とはいえ、高地なので朝晩は肌寒い。2人とも布で身体をしっかりと保温している。
 右側の男性は、エチオピアで良く見かけるスタイルである。白い布は、男女ともたいていが身につけている(写真=左の男性のような黒い布をはおる姿はあまり見かけない)。そして左手に持つ棒(ドンガスティックと呼ぶらしい)は、これまたエチオピアの男性がほぼ必ず持つものである。杖にもなるし、護身用にもなる。しかし実用よりも、ファッションらしい。

 

 

若者2人に声かけられる
 ラルホテルの外に出る。昨夕、夕映えの中に浮き上がって見えたテーブル状の山には、まだ日が出ていない。広い石畳を敷いた道路に、白布を身体に巻いた男性がたった1人、歩いている。時は6時50分、さほど早い朝というわけでもない(写真)。

 

 

 

 ラルホテルは、緩やかな丘の上に建っており、テーブル状の山に向かって、やや下り坂になっており、また反対も下り坂になっている。
 僕は、ぶらぶらと山と反対方向に歩くと、すぐさま2人の青年に話しかけられた。エチオピア人はとても人なつこく、なぜかすぐに僕を日本人とわかり、「トーキョー?」と聞いてくる。日本なら、首都の東京しか知らないのだ。普通の日本人がエチオピアと言ったら、首都アジスアベバしか知らないのと同じだ。
 子どもと違って、青年たちは別に物をねだることはない。きっと外国人が珍しく、声をかけて少しでも「異国の匂い」をかぎ取りたいのだろう。

 

「日本から来た」と言うと、まぶし気に見られた
 ラリベラで出遭った少年2人も、そうだった。
 この気さくな2人と片言英語で話をした後、写真を撮って良いかと尋ねると、喜んで、と2人で並んだ。向かった左が18歳、右が15歳、という(写真)。

 


 左の青年は、割とまともな英語をしゃべっていたから、高校程度の学卒だろう。
 時間は朝7時。まともな仕事に就いている子なら、朝の忙しい時にブラブラしているはずはない。きっと失業者なのだろう。世界遺産のラリベラ岩窟教会群という観光資源はあるが、ラリベラには工場もオフィスも見当たらない。外国人観光客相手の土産物売りくらいしか仕事がないのに違いない。

 

丘の斜面にへばりつくように民家
 その2人の青年と別れ、僕は別の方向に出かけた。石畳の本通りから入る脇道はいくつもあり、急な斜面にへばりつくように民家が建てられている(写真)。

 


 ある場所で集落を観ると、1カ所だけ白い布の人が集まっている所がある(写真の画面中央)。おそらくエチオピア正教の教会に違いない。

 


 移動中、バスから観ていると、小さな集落にもほぼ必ず小さな教会があった。貧しくても、エチオピア人の多くはエチオピア正教が生活の中心となっている。ただエチオピアでも東部に行くとムスリムが多数派となる。
 そろそろホテルに戻るか、と石畳のメインロードに出た。たった20分あまりしかたっていないのに、道にはかなり人が出るようになっていた(写真)。

 

 

追記 先の参院選で落選した身ながら、適任者がいないため党首に留任していた社民党の吉田忠智は、17日の記者会見で来年1月15日からの共産党党大会に招待されたことを明かした。党大会には、出席したい、と明言した。
 閉鎖的な共産党党大会に、これまで社民、そして前身の社会党時代にも、党首が出席したことはなかった。
 絶対不可能と周囲からは見られているが、本人たちは少しはその気になっているのか、共産党は野党連合政権を他野党に呼びかけている。一方の社民党は、じり貧化が著しい。党員・支持者も、60年安保や70年安保の生き残りだけで、若者の入党はほとんどなく、高齢化は隠しようもない。
 もはや全国規模の政党として構えるのも、難しいと思われるが、いずれは共産党に吸収されてしまうのかもしれない。
 吉田の共産党党大会への出席は、その瀬踏みなのか。

 

昨年の今日の日記:「晩秋の桜と紅葉の見物に東海の豊田市郊外に行く(下);足助、香嵐渓の紅葉と中馬街道の街並み」