北朝鮮ならず者集団による新たな核実験や長距離弾道ミサイル発射実験の脅威が迫る一方、またしても北朝鮮要人の脱北が報じられるなど、金正恩体制の不安定化が観測されている。
 しかしこの状況は、むしろ警戒を要する。

 

開戦なら3日足らずで米韓両軍は平壌を占領
 金正恩が、都合の良い情報だけを頼りに「今、やれば勝てる」と誤判断し、あるいは万が一に賭けて、韓国や我が国に核ミサイルを撃ち込みかねないからだ。
 むろん1発でもソウルに打ち込めば、北朝鮮ならず者集団は終わり、である。韓国軍と在韓アメリカ軍の空と陸と海からの猛反撃で、平壌は3日とたたずに陥落するだろう。
 また韓国への攻撃で、米韓両国の特殊部隊は、直ちに平壌の金正恩の在所に突入し、金正恩とその警護部隊を制圧する計画を実行に移す。

 

占領された平壌への投下も厭わない
 取り逃がして、金正恩が健在であれば、厄介だ。「万事休す」と見て、金正恩が素直にロシアかスターリニスト中国に亡命してくれればいいが、そうでないとするとさらに被害を広げる懸念がある。
 例えば決死隊に命じて、おんぼろ爆撃機に原爆を積み、金正恩なら占領された平壌にも投下を厭わないだろう。そこで、占領した韓国軍とアメリカ軍を焼き殺せればよい、と思考するに違いないのだ。むろん、それよりはかるかに多数の平壌市民が被爆するが、そんなことで原爆使用を躊躇する輩ではない。

 

1951年の核危機、アメリカが中国旧満州に原爆投下を計画
 戦後史の中で、核の使用される危機が2度あった。
 最初は、1951年、韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦したスターリニスト中国軍を1度は突破された38線まで押し戻した後、である。
 中国軍の抵抗に手こずった連合国軍最高司令官のマッカーサーは、中国東北地区に原爆投下をワシントンに献策したが、トルーマン大統領はソ連の参戦を恐れ、マッカーサーのプランを退けた。トルーマンは優柔不断な人物で、そのうえヒロシマ・ナガサキへの原爆投下で多数の一般市民が犠牲になったことをトラウマにしていた。
 戦争拡大を恐れたトルーマンは、マッカーサーを最高司令官の職務から解任した(写真)。

 

 

核攻撃で中国領に進撃してもスターリンのソ連は参戦しなかった
 その後、ソ連崩壊とともに公表された当時のソ連の文書から、スターリンたちはアメリカが中国に進撃しても、韓国戦争に参戦する意思がなかったことが明らかになった。トルーマンが危惧したようなソ連参戦はあり得なかったわけで、逆にマッカーサーは慧眼だったと言える。
 悲惨ではあっても、核兵器が使用されていれば、中国軍の支援を絶たれた北朝鮮は韓国に敗れ、韓半島は統一されて、今日のような核恫喝はなかったであろう。今となれば、トルーマンの愚図が、金日成の孫の金正恩に核恫喝を許していると言える。
 なおこの時、マッカーサーは、台湾に追われて「失業状態」だった国民党軍を、満州核攻撃と同時に大陸に侵攻させる考えも持っていた。そうなっていれば、今日の世界の不安のタネであるスターリニスト中国も消えていたかもしれない。

 

フルシチョフの決断で世界核戦争を回避
 2度目は、1962年のキューバ核危機である。これは、人類が最も全面核戦争に近づいた瞬間であり、アメリカの核ミサイルは、ソ連各地の標的に照準を合わされていた。もし当時のソ連の独裁者フルシチョフが、キューバから核ミサイル撤去を決断しなければ確実にグローバル核戦争となっていた。
 今にして思うが、フルシチョフはよくぞキューバからの核ミサイル撤去に応じたと思う。耳に心地よい情報しか入らない独裁者にすれば、真の英雄的決断だったと評価する。
 しかしこの時の妥協は、ソ連共産党内に反フルシチョフの雰囲気を作り出し、これが遠因となって2年後のフルシチョフ解任・失脚に至るのである。
 2度あることは、3度あるのか。金正恩がフルシチョフほど老練でもなく、また歴戦の勇士でもないだけに、核の使用に躊躇いはないと思われるのが不安である。

 

昨年の今日の日記:休載