小さな記事を見かけた。21日、札幌護国神社で10数人の老人の参加した小規模慰霊祭が行われたという。


「戦後」の最北端で仕掛けた戦闘でソ連赤軍は大敗
 千島列島最果ての島、占守島の「戦後の戦闘」でスターリン・ソ連の赤軍の不法急襲と闘った元兵士や遺族で作る「北千島慰霊の会」が行った「最後の」慰霊祭である。
 千島列島北東端の島、占守島(写真=戦前、民間人1家族も住んでいた)には、旧日本軍が守備隊として配置されていた。ポツダム宣言受諾後、武装解除を待っていた旧日本軍に、1945年8月18日の未明、ソ連赤軍が襲いかかった。


占守島

 スターリンは、北海道も含め全千島の武力占領の意図のもと、日本軍殲滅を狙った。彼らにすれば、武装解除した日本軍を平和的に捕虜にする選択肢はなかった。
 停戦となった21日まで、旧日本軍は勇敢に赤軍と闘い、約300人が「戦後の戦死」を遂げた。対して、日本軍の強力な反撃を受けた赤軍は、約3000人もが死亡したとされる。日本軍の勇猛さが、称えられる戦闘であった。


たった1人に減った占守島戦争の生存者の参加
 占守島戦没者の慰霊碑のある札幌護国神社では、1968年から停戦日の8月21日に慰霊祭を開いていた。かつては50人を超える戦闘経験者が参加していたそうだが、ご多分に漏れず高齢化が進み、最後の慰霊祭に参加した戦闘経験者は、当時、17歳で戦闘に遭遇した元少年戦車兵1人に減っていた。
 そのため今回の慰霊祭が、最後となった。日本に対してふるわれたスターリンの暴虐を示す歴史の風化を防ぐささやかなイベントがこれでピリオドを打つのは、何とも残念である。


民間人への不法攻撃で大量の犠牲者も
 スターリンと赤軍の不法ぶりは、占守島の戦闘に留まらない。
 樺太の避難する市民に、無差別の銃砲撃を行い、さらに8月22日には、樺太から避難する民間人満載の避難船「小笠原丸」、「泰東丸」、「第二号新興丸」の3隻を北海道沿岸で、民間船と知ったうえで赤軍潜水艦が攻撃し、撃沈している。「3船殉難事件」とされるこの蛮行で、1708人が遭難死している(写真は留萌沖を見下ろす場所に立つ碑)。


三船殉難碑


旧満州葛根廟では開拓避難民に対する無差別テロ
 また旧満州では、終戦の前日の8月14日、満州国興安総省の葛根廟で開拓民日本人避難民約1000数百人(9割以上が婦女子だった。壮年男子は、総動員令で関東軍に徴兵され、誰もいなかった)がスターリンの赤軍によって攻撃され、1000人以上が虐殺されている。まさにアルカイダやISIL並みの無差別テロであった。
 僕たちは、「シベリア抑留」を含め、日本人に対するスターリンの行った戦争犯罪を、決して忘れない。71年の歳月をへても。
 なお15年8月19日付日記:「これだけは知って欲しい! 70年前の終戦後のソ連赤軍に対する最北の自衛戦闘が日本分断を救った;現代史」も参照されたい。


昨年の今日の日記:「いつもの北朝鮮ならず者集団の空威張り、「準戦時体制」や「開戦」の恫喝にも何も起こらず」