僕たちは、エチオピア2泊目の夜を過ごすゴンダールの「フロリダ・ホテル」に到着した(写真)。


フロリダホテル


鍵穴の部分がすっぽりない!
 ゴンダールは、前泊のバハルダールよりも標高も高く、近くに湿地もない。したがって蚊もいない。
 それは良かったのだが、添乗員氏がレセプションでホテル職員から部屋と鍵の割りふりを受け、首尾よく鍵を受け取って部屋に向かったら、ドアの鍵穴がない。鍵の入る部分がぽっかりと開いていて、空洞になっている。鍵穴の修理中で、そっくり取り去っていたのだ。
 これでは中に入れないし、入ったところで、安心して眠れないではないか。
 慌ててレセプションに戻り、レセプションの職員を引っ張ってきて部屋の前に立たせた。これでどうやって入るんだ、というわけだ。

割り当ての新たな部屋に入ってバスルームの蛇口を開けば湯が出ない
 その職員、無い鍵穴の部分に鍵を差し込んで押し引きしている。鍵穴が無いのだから、ドアが開くはずもない。2、3度、試して、彼もやっと無理だと分かって(反応が遅すぎる)、レセプションに戻り、新たな部屋の割り当てを受けた。
 そんなすったもんだがあったから、部屋に落ちくのに、他の人より10分近く遅れた。やれやれ、と思って、バスルームのシャワー詮を捻ったら、ヘッドから出てきたのはお湯ではなく、水だった。それも、チョロチョロ。
 途上国のホテルにはよくあるが、湯を貯めるタンクが小さく、他の人たちが使い切ってしまったのだ。仕方が無いので、それで何とかシャワーを使った。

「なんだチキンか」の大誤解、深い味わいにびっくり
 それで、大急ぎでホテルのレストランに向かった。
 今夜も、ホテル内のレストランでの食事である。正直、その方が助かる。ツアーで、よくあるのは、いったんチェックインした後、またバスに乗って、他のレストランに行くケースだ。疲れているのに、おっくうだし、だいいち寝るのが遅くなる。
 ここでの夕食は、チキンの煮込みだった。
 添乗員氏にメニューを聞いてがっかりした。なんだ、チキンか……。
 ところが出てきた煮込みのチキンを噛んで、びっくりした。ブロイラーでないらしく、固い。しかし昔、田舎の庭先で飼っていた地鶏のような深い、美味い味がにじみ出てきたのだ。

日本で忘れられた地鶏の味はエチオピア紀行の最高の味
 後にエチオピアの農村とマーケットを見て、得心した。マーケットで売っている鶏は、農家の庭先で飼われているものだった(写真)。まだ市場経済が未発達で、エチオピアには大規模な養鶏ファームがないのだ。


メケレのマーケットの地鶏売り

 日本でもどこでもそうだが、ブロイラーの種鳥はアメリカから買ってきたものだ。そこからのF1を肥育したものを我々は食べている。水っぽくて味もない。しかし与えた餌がどれだけ肉になったかという飼料効率は抜群に良い。
 そうではないから、エチオピアのチキンは美味しいのだ。思えばエチオピア紀行中に食べた主菜のナンバーワンは、この時のチキンだったのだ。


ファシリデス王の浴場1

ファシリデス王の浴場2

 上の写真は、補遺としてファシリデス王の浴場2枚。

追記 北朝鮮ならず者集団の在英副大使が亡命
 北朝鮮ならず者集団の党・政府・軍の中に、国際社会の非難を退け、どこまで核・ミサイル開発に突っ走るかわからないことに不安が高まっているようだ。

外交官では最高ランクの亡命
 韓国政府が17日に発表してところによると、北朝鮮ならず者集団の駐イギリス副大使(公使)が亡命した。現在、家族とともにソウルにいるという。
 亡命した副大使は、ロンドンにある北朝鮮ならず者集団大使館のナンバー2に当たるテ・ヨンホ氏で、妻と息子とともに亡命した。通常、北朝鮮ならず者集団は海外に出る自国民が亡命・脱北しないように、家族を人質として北朝鮮国内に留める。しかし副大使クラスになると、外国とのレセプションなどに妻同伴という機会が多く、またそれだけ亡命しないと見られていたのだろう。
 韓国によると、外交官でも副大使クラスの要人の亡命は希で、これまでの最高ランクに近いという。

党・政府・軍の要人の粛清が影響か
 海外、それも西側自由主義圏の外交官となれば、嫌でも自国の貧しさと圧政ぶりが日常的に対比される。しかも金正恩体制になってから、党・政府・軍の最高幹部級が3桁も粛清されている。明日は我が身か、という意識は、誰しも抱いているに違いない。
 それとともに金正恩体制への嫌悪感もつのるだろう。
 ただ黙っていては、彼らもこれまでの地位とキャリアを捨て、亡命するまでには踏み出せない。おそらく韓国側の情報工作員の調略工作が活発化しているのだろう。
 こうしたことは、情報閉鎖の北朝鮮国内にも必ず知れ渡る。これが蟻の一穴となるかどうか、注目される。上司の北朝鮮ならず者集団大使は、本国召還されているだろうけれど、責任を問われ、銃殺を免れない。お気の毒に、である。

昨年の今日の日記:「これだけは知って欲しい! 70年前の終戦後のソ連赤軍に対する最北の自衛戦闘が日本分断を救った;現代史」