リオデジャネイロ五輪6日目の8月10日、体操男子個人総合決勝で内村航平とウクライナのオレグ・ベルニャーエフとの行き詰まる金メダル争いは、素晴らしかった。ベルニャーエフは最終競技の鉄棒まで内村を終始リードしながら最後の鉄棒で着地が乱れ、僅差で内村の大逆転を許した。


柔道女子52キロ級で金メダルのマイリンダ・ケルメンディ選手
 得点表示の後、僅差の2位に終わったことを知ったベルニャーエフの態度もすがすがしかった。悔しさも見せず、笑顔で内村に歩み寄り、握手。競技中は闘い合うが、結果が出れば、相手を祝福する。これぞ、五輪精神と言うべきものだ。
 さらにリオ五輪で日本に連日のメダルラッシュをもたらしている柔道は、発祥に地にして、お家芸でもあるだけに、日本国中を感動・興奮させている。僕も、素直にうれしい。
 しかし柔道種目開始2日目の7日に、柔道女子52キロ級で25歳のマイリンダ・ケルメンディ選手が金メダルを得たことには感動させられた。


ヨーロッパのかつての紛争国
 ケルメンディ選手は、今大会で五輪に初参加したコソボの選手だからだ(写真=優勝を決め、両手を挙げて喜ぶケルメンディ選手。胸につい付けられているのが、国の地図を意匠にしたコソボの国旗)。コソボ、と言っても、「それって、どこ?」と、一般の人にはなかなか分からないかもしれない。


金に喜ぶケルメンディ選手

 かつてのユーゴスラビアの一部で、旧ユーゴスラビアが東欧革命の後、次々と解体し、民族ごとに独立していった後、「コソボ紛争」と呼ばれる内戦をへて、2008年、最後にセルビアから独立した小国である(面積約1万平方キロ、人口約170万人)。


IOC加盟はわずか2年前
 独立の経緯から、セルビアはもとより、セルビアの擁護国であるプーチン・ロシア、そしてスターリニスト中国も独立を承認せず、この2常任理事国の存在のために国連加盟が認められていない(国連加盟には全常任理事国の賛成が必要)。
 前記のように小国であり、しかも内戦を経てのセルビアからの一方的独立であったために、IOCへの参加も遅れ、加盟を承認されたのはやっと2014年のことである。
 前ロンドン大会では、ケルメンディ選手は隣国のアルバニア選手の1人としてしか参加できなかった。
 今回は、たった8人の選手団の1人としてコソボ共和国として晴れて正式参加、開会式では旗手を務めた。


バッハ会長も祝福に訪れた快挙
 表彰式にはドイツ出身で(ドイツはコソボの承認国)IOC会長のトーマス・バッハ氏が駆けつけ、ケルメンディ選手を祝福した。バッハ会長も、オリンピックがコソボに根付きつつあることが嬉しかったに違いない。
 全土が戦場になったコソボ紛争は、1996年~1999年だったので、ケルメンディ選手も幼い時に戦火を体験した。
 人口も少なく、国土も狭く、荒廃した国にめぼしい産業もない。ヨーロッパの一員にしては国内は貧しい。それでも、そうした国で柔道は普及しているのだ。
 そうした国から金メダリストが出た! 創始者の嘉納治五郎も、この国際化には喜んでいるだろう。


昨年の今日の日記:「中国のスターリン、第2の毛沢東となった習近平の独裁と暴虐;現代史」