アメリカなどで大ヒットしているポケモンGOが22日、日本でも配信され、さっそくニュースでゲームに熱中する若者たちの姿が放映された。


ゲラ読みの日々に「ポケモンGO」のニュース
 ひたむきになれるものがあることは良いことだけれども、僕にはずいぶん暇だな、と冷めた思いしかない。何しろ現在、来月1日締め切り予定で350ページ級の著作のゲラを寸暇を惜しんで読んでいる。先日、電車内で読んでいて、危うく乗換駅で乗り過ごしそうになった。
 神の束に向かい、赤ペンを持つ作業なので、歩いて読むわけにはいかない。しかしポケモンGOとなると、スマホに向き合うわけだから、それでなくとも駅ホームや階段で時としてぶつかりそうになる(急いでいる時は大いに邪魔だ)歩きスマホの輩が増えそうだ。
 ゲームに全く関心を持たない僕にすれば、迷惑な事例が増えそうで、それが憂鬱だ。
 さて、枕が長くなったけど、エチオピア紀行である。実は、これだけ連載が長くなると、回数を時には間違える。今度も、エチオピア紀行の回数(52)を2回を使用してしまった。そのため(54)を飛ばし、今回は(55)とする。ご了承いただきたい。


崩れ落ちそうな石造の城
 ゴンダール城の最後の方、メントゥワブ女王の城だけは辛うじて名前を覚えていたが、後はすぐに忘れてしまった。現地ガイド氏から説明があったのかも記憶がない。
 例えば大きな木のそばに建つ、半ば崩れ落ちそうな小さな城(写真)。いったいどんな名前だったのだろう、と思う。


崩れ落ちそうな城

 メントゥワブ女王の城は、修復中のようだった(写真)。中には入れなかったが、すぐ近くまでは行けた。


メントゥワブ女王の城2

メントゥワブ女王の城


キリスト教信仰の篤さ示す「十字架」意匠
 窓枠の上に、「ゴンダールの十字架」と言われる意匠が見られるが(写真)、女王がキリスト教信仰が篤かったからだという。


メントゥワブ女王の城とゴンダールの十字架

 ファジル・ゲビの丘に建設された王宮は、この女王の城を最後に終止符を打つ。
 石造廃墟を回りつつ、僕たちは次の所に急がねばならない。もう4時半を過ぎていた。


昨年の今日の日記:「スターリニスト中国、東シナ海の日本の眼前でガス田開発の大展開、軍事用もで忍び寄る侵略の軍靴;現代史」