これはまた実に理不尽な都知事選立候補劇である。本日の告示の直前に唐突に名乗りを挙げた鳥越俊太郎が、民進党の岡田とボス交し、民進党都連が立候補を要請し、本人も受諾していた古賀茂明氏を押しのけて野党4党統一候補になったのが、12日のことだった。

混迷の末、民進党都連は古賀茂明氏に行き着いたが
 今年76歳の高齢で、何度も癌の手術を受けた人物が、激務の都知事職を務まるのかという資質の問題を棚上げし、早くも岡田あたりは天下を取った気分のようである
 しかしこの立候補劇は、極めて不透明で、かつ理不尽でもあった。
 そもそも参院選の民共共闘に批判的だった民進党の長島昭久氏が、1度は前向きに検討した出馬を撤回したのは11日だった。
 それを聞いていた同党都連は、会長の松原仁氏が都連として元通産官僚の古賀氏に立候補を要請したのは、同じ11日だった。

鳥越は岡田とボス交、都知事候補に名乗り
 ところが12日に、鳥越が突然に名乗りをあげ、記者会見まで行い、既成事実を固めた。それ以前に、岡田と談合し、民進党の支援を受ける話は出来ていた。
 これにはハシゴを外された都連の松原氏あたりは、相当に頭にきたらしい。そもそも手順としては都連が候補を絞り、それを本部が認めるというのが筋なのだから。
 それでも翌日、立候補要請を受諾した古賀氏は、鳥越出馬を容認し、身を退いた。
 しかし都連の中には、収まらない者たちも多い。

「野合」と批判した宇都宮健児だが
 それ以上に収まらないのは、早くから立候補を表明していた宇都宮健児であろう。12日のうちに民進、共産、社民、生活の4党が、参院1人区と同じ枠組みの4党統一候補になることに決まり、当てにしていた共産と社民の推薦を得られなくなったからだ。
 ずっと早くに立候補表明していたのに、告示直前の12日に落下傘のように、突然、土俵に舞い降りた鳥越に、共産、社民の支援をさらわれたからだ。
 同日、宇都宮は鳥越に対して「都政についての考えを聞いたことがない」と批判、何1つ、都政に関与したこともない鳥越の痛いところを突いた。さらに4党についても「著名で勝てる候補を探してきた与党と一緒で、野合と言われても仕方ない」と声を荒らげたという。

外堀埋められ、宇都宮も撤退、不透明極まりない
 ところがその宇都宮も、13日夕刻には折れた。午後の日本記者クラブの共同記者会見には出席し、意欲満々だったのに(写真)、これまた突然、夕刻に立候補取りやめを発表したのだ。どこからか(おそらく共産党筋から)大きな圧力がかかったのは明白だ。


共同記者会見

 これで左翼4党は、最初から最後まで不透明な鳥越に、ヤミの談合で一本化された。客観的に見れば、テレビで顔の売れた鳥越は最有力となったのは事実だ。これは、全く好かない。都民有権者は、このようなダーティーな男を認めるべきではない。
 一方、保守は、自民と決別した小池百合子氏と、自公の推薦を受ける元官僚の増田寛也氏が立候補する。自民が自党の現職衆院議員の小池氏擁立に最初から消極的だったのは、小池氏と公明党・創価学会が犬猿の仲だからだ。自分の党の同僚より公明党を優先した姿勢を、僕は批判し、ここでは小池氏を応援したい。

追記 無所属の平野達男参院議員が12日付で、自民党に入党届を提出し、自民は入党を認めた。平野氏の入党で、自民の参院議席は122議席になり、単独過半数を確保した。10日の参院選で56議席を獲得し、非改選とともに半数ちょうどの121議席に達していた自民は、平野氏の入党で過半数を制した。
 今回非改選だった平野氏は、岩手選挙区選出で、元汚沢の側近だった。旧民主党政権の2011年に復興・防災相に就任している。
 3年後、自民は平野氏を担いで岩手選挙区を闘うが、議席確保はほぼ確実な情勢だ。汚沢王国に風穴が開いた。

昨年の今日の日記:「スターリニスト中国で人権派弁護士など100人の大量拘束とタイに逃れたウイグル族難民を強制送還させるという2つの大規模」