ゴンダールの街中に入ると、かつての王宮群(城)が立ち並ぶファジル・ゲビの丘は、人でごった返しているのだ。今日(1月24日)は、日曜日だ。しかもエチオピア正教徒の聖なる祭式、ティムカット祭が終わって初めての日曜日だったのだ。
 ツーリストとしては、厄介な日に来たものだ。


たくさんの結婚式に遭遇
 次々と集まってくる人々は、それまでにエチオピアで見た人たちと全く異なり、みんなこざっぱりした格好をして、中には礼服まで着ている(写真)。


ファジル・ゲビの丘の結婚式2

ファジル・ゲビの丘の結婚式

 結婚式だ!
 エチオピアで結婚式のカップルを見られるなど運が良いと思ったが、それはとんだ誤解であった。それは、人並みをかき分けて古い石造の城に近づいてほどなく分かった。
 ともかく人が多い。カップルも1組や2組ではない。エチオピアの青年男女が一斉に結婚式を挙げたかのようだ。


壮麗な石造の城
 ゴンダール城は、17世紀から18世紀にかけて、ここを首都としていたゴンダール王朝によって建設された(写真)。


ゴンダール城

 中世ヨーロッパの城を思わせる大きな石造の城が6つ、建てられている。ゴンダール朝の王は、開祖のファシリデス王から代が替わるごとに、ここに石造の城を造っていった。
その壮大さから、訪れた白人は、ヨーロッパ人が建設した、と想像したという。
 確かに最も壮麗なファシリデス王の城を目にした時、前にドイツで観たハイデルベルク城、スペインのセゴビアのアルカサール(写真)を思い出した。


セゴビアのアルカサール


ファシリデス王の城の階段は結婚式の参列者で鈴なり
 しかし、である。城内は、あちこちにウェッデングドレス姿の女性が見える(写真)。


ゴンダールの結婚式

ファジル・ゲビの丘の結婚式3

 僕たちがファシリデス王の城の前に来た時、階段に新婚カップルを中心に、たくさんの結婚式参列者が並んでいた。彼らは口々に歌を歌い、踊っている。
 しばらくは、退かないようだ。彼らが階段を占拠しているため、僕たちは城内に入れない。いったい、入れるのだろうか?


昨年の今日の日記:「バルト3国紀行22:1991年1月20日にラトヴィア、リガで起きた惨劇;現代史、紀行」