ペルー初の女性大統領かつ親子2代の日系大統領誕生は、消えた。


1回目投票ではダブルスコアの大差をつけてがケイコ・フジモリ氏惜敗
 5日行われたペルー大統領選挙第2回(決選)投票で、先に1位になっていたケイコ・フジモリ氏(藤森恵子、「フエルサ2011」党首)が、同2位のペドロ・パブロ・クチンスキー元首相と大接戦の末、ようやく9日、決着がついた。ケイコ・フジモリ氏は、クチンスキー元首相に本当に僅差で惜敗した。
 ケイコ・フジモリ氏は1回目投票では39.85%と、クチンスキー氏の21.00%にダブルスコアの大差をつけていたが、決選投票で追いつかれ、逆転された。
 しかし有権者2300万人で両氏の得票率の差は、0.24ポイント(約4万1000票差)であり、まさに鼻の差を争う大接戦だった(写真=10日、支持者を背にさわやかに敗北宣言をするケイコ・フジモリ氏)。


支持者に敗北宣言するケイコ・フジモリ氏


左派票が大量にクチンスキー氏に流れる
 右派のケイコ・フジモリ氏は、5年前の大統領選挙でも2位で決選投票に臨み、左派の現職オジャンタ・ウマラに敗れた。その時の選挙でも、左派が大統領になれば、経済停滞と治安悪化が再燃するとケイコ・フジモリ氏は警告していたが、果たしてそのとおりとなり、父親のアルベルト・フジモリ元大統領のようなペルー再生が期待されていた。
 しかしそれは逆に、父親のフジモリ氏のような強権支配の再来を懸念され、決選投票では、左派の票が大量にクチンスキー氏に流れ、逆転の憂き目にあった。


新大統領は練達のエコノミスト
 その名から予想されるように、ポーランド系ドイツ人移民の子のクチンスキー氏は、長く世界銀行とIMFで勤務していた経済通であり、また政治姿勢も中道右派である。01年には、中道右派で近年では最も成功したトレド政権の経済財務相と首相となり、ペルー経済を成長軌道に乗せた。
 左派の期待どおりのバラマキ政治には戻らない、と見られる。
 ペルーで右派政権の誕生により、アルゼンチンでの左派政権の退陣、ブラジルとベネズエラでの左派政権の退陣直前=仮死状態に続く「右派の風」はさらに勢いづく。


地方ではケイコ・フジモリ氏の人気は圧倒的
 個人的には僕は、ペルーに親近感を抱いている。かつてアンデス文明を生んだ地であり、タワンティンスーユ文明のマチュピチュを訪れた時は、最高に感激した。フジモリ父子の例のように、日系人も少なくない。
 ペルーの訪問は、4年前の2012年であったが、その時はアルベルト・フジモリ政権の遺産でまだ治安は良かった。クスコからマチュピチュにバスで向かう途中、3000メートル級の高原の田舎村で、泥レンガ造りの住居の壁に「Keiko」と大書きされていた光景を思い出す。地方では、圧倒的な人気があるのだ。今回も、地方ではクチンスキー氏をリードした。


5年後の3度目のチャレンジに期待
 アンデス山中などの地方は、貧しい。庶民は、前記のような泥レンガで造った家に住む。
 だからこそエコノミスト出身のクチンスキー氏の手腕が、期待されるのである。そしてケイコ・フジモリ氏には、5年後の3度目の挑戦を期待する。


リマの旧日本大使公邸

大統領官邸

泥レンガの家

クスコ郊外の露店

 写真は2012年のもの。上から1996年から翌年まで4カ月以上も極左ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動」に約600人も人質にとられて占拠されたリマの旧日本大使公邸、警官に警護されるリマの大統領官邸、地方の泥レンガの家、クスコ郊外の露店。


昨年の今日の日記:「モスル陥落1周年に寄せて、戦意乏しく弱いイラク政府軍ではISILを討伐できない」