人類の知性は、20万年前頃に最初のホモ・サピエンス(現生人類)の現れたアフリカで開花したと見られているが、洗練化した設計思想とある程度の集団を建設工事を動員する組織化する必要のある大規模な石造建造物が、フランスの洞窟奥深くで発見された。年代は、現生人類がヨーロッパに出現するよりも13万年も古かった。
 イギリスの科学誌「ネイチャー」6月2日号で、人類史最古の石造の円形建造物の確認が報告された。


石筍を割った石材を組み上げてストーンサークル
 遺構は、壁画洞窟やその他の旧石器時代の遺跡が散在するフランス南西部のブルニケル洞窟の奥深くで、入り口からは実に336メートルも奥に入った、太陽の全く差し込まない所に残されていた。
 更新世に入り口が自然に閉じてから20世紀末に発見されるまで、誰も立ち入っていなかったので、良好の保存状態だった。
 遺構は、洞窟で生成される石筍をほぼ同じ長さに割った石材をストーンサークルのように並べたもの。直径6.7メートルのサークルを最大に、少なくとも6基、確認された(写真)。研究チームのリーダー、ボルドー大学のジャック・ジョベールらによると、石筍断片が整然と並べられ、しかも上で火を焚いた跡があるいう。


ネアンデルタール人の石筍サークル

立体的に再構成したストーンサークル

ネアンデルタール人の石筍サークル2

 また小さい円形構造の近くでは、クマや大型草食動物の炭化した骨片も見つかった。


知性の現代化に大きな踏み出し
 ジョベールらは、深い洞窟奥にこれだけ巨大な構造物を造るには、①安定した光源、②制作に動員できるだけの社会組織、③総計約2.2トン以上、長さ計112.4メートルの石筍を並べてパターンを作ることを思いつき、実際にそれを造る能力が必要、と主張、遺構の制作者は知性の現代化に大きく踏み出した、と評価する。
 では、これを誰が造ったのか?


17万6500年前の祭祀遺構か
 制作者の化石は残っていなかったので、年代が重要な手がかりになる。チームは、石筍や骨片の表面に成長した炭酸塩鉱物のウラン系列年代法を求め、17万6500年前(±2100年)と割り出した。この時代、西南フランスにいたのは初期ネアンデルタール人だけである。チームは、制作者はネアンデルタール人と判定した。
 年代からすれば、人類最古の構造物となる。
 これら円形石列の機能については不明だが、光も差し込まない真っ暗な洞窟奥深くに造られたことから、この場所が何らかの象徴的・儀式的な意味合いの強かった所の可能性が高い。


ホラアナグマ説は成立しない?
 予想されたように、この構造物について一部の考古学者の間で疑念も出されている。洞窟入り口付近で、絶滅したホラアナグマやその他の絶滅大型動物の痕跡が見つかっていることから、ブルニケル洞窟例もホラアナグマが石筍のガラクタを押しのけた寝ぐらではないかという。
 こうした近似例に、一時はネアンデルタール人の祭祀場と考えられたイタリアのモンテ・チルチェオ洞窟がある。ここでは洞窟奥深くの円形に石を並べた輪の中に、ネアンデルタール頭骨が逆さまに置かれていた。ネアンデルタール人が死者のための何らかの祭祀を行った後と長く考えられたが、その後、ホラアナグマが払いのけた石が円形に見え、頭骨はたまたまそこに並んだものという見方が有力になった。現在では、人為説はほぼ否定されている。
 ただブルニケル洞窟の今回の円形構築物は、産状からも限りなく人為とものに思われる。


昨年の今日の日記:「トルコ総選挙で強権大統領エルドアン与党が大敗、専制大統領制への改憲は幻に」