タナ湖畔のレストランで昼食をとった僕たちは、中型バスに乗ってゴンダールを目指した。
バハルダールより北へ、両側に畑の広がる舗装道を行く
ゴンダールは、日本で言えば江戸時代頃にファシリデス王によってエチオピアの首都と定められた古都だ。タナ湖(標高1800メートル)の北岸をちょっと遡った標高2200メートルの高所にある。
僕たちのバスはタナ湖の南岸のバハルダールを出発したので、その東岸を一路北上することになる。途中、タナ湖に近いせいか、しばらくは緑の多い景観が続く(写真)。約180キロの道は、往復2車線だが、青ナイルの滝への道と違い、舗装がされてドライブは快適だ。
沿道には、たまにしか人家はない。しかも大きな集落もあまりない。ただ肥沃な土地のせいか、一面の畑が続く。これがエチオピア中部に行くと、ほとんど砂漠的な景観なのだが。
指を突き立てたような、その名も「神の指の岩」
1時間ほど走ると、山並みの先に奇妙な岩がニョキッと、突き抜けたように見えてきた。「神の指の岩」と呼ばれる、高さ25メートルもの直立した巨岩だ。玄武岩の岩だろうが、ここだけ浸食から免れたのか(写真)。初歩的なロッククライマーには手頃な岩に見えた。
バスは、ここで止まった。トイレタイム兼「神の指の岩」の撮影タイムである。エチオピア旅行で初めての青空トイレである。
まさに青空の下で、雄大な景色と花々を観ながらの最高のトイレ。数時間前に体験した青ナイルの滝のインフォメーションにあったものすごく不潔なトイレと天地の差である。
青空トイレの傍ら景観を観察
降りて草むらに移動し、立ちションをしながら、「神の指の岩」と反対側の谷筋を観た。
ほとんど木はない。すべて人為的に伐採され、後は段々畑になっている。畑はほとんど山の頂上近くにまで迫っている(写真)。
先史時代、ここはきっと緑の熱帯雨林だったのではないか、と思った。
これだけ木が伐採されてしまうと、雨が降っても表土はすぐ流れ去ってしまう。
腐植土も乏しい表土すらほとんど失われ、砂礫がむき出しになった土地の保水力をゼロに近いので、貴重な天水すらすぐに流れ去り、乾燥が進み、サバンナに近い景観が作り出された。
木も表土もない土地
それだけにちょっと干ばつになると、農作物はいっぺんに枯れてしまう。1980年代の世界の心を痛めさせたエチオピア大飢饉の悲劇は、こうした森林破壊と干ばつ、そして時のメンギスツ政権の無策の結果であった。
処方箋は、はっきりしている。腐植土の表土を回復するために植林しかない。木さえ茂れば、土中から失われる水分も限定される。
しかし広大なアビシニア高原に植林を行き渡らせ、旧石器時代のような緑のアビシニア高原を回復するには、莫大な資金と労働力が必要だ。
今のアフリカなら、どの政権でも遠い夢物語に近い。
人口爆発に悩まされる後発途上国の農業の難しさ、である。
昨年の今日の日記:「世界最古の『殺人事件』被害者、スペイン、シマ・デ・ロス・ウエソス洞窟の17号頭蓋若者の悲劇」