僕らの一行の泊まった超老舗温泉宿の慶雲館は、早川町の山の中にある。西は長野県境があり、赤石山脈の東麓である。宿は、急流の早川に接し、川のすぐ向こうは絶壁だ(写真)。


部屋から観る峡谷

 日本第3の高峰の間ノ岳(3189m)は、この崖の向こうにある。


断層帯を削った渓谷
 早朝、いつものように目が覚めた。外に出た。それでなくても山峡の、温泉宿しかない所である。人は、誰もいない。
 ただ起床後、24時間入れる展望大浴場に入ったら、すぐ上流に吊り橋がある。そこから早川渓谷と宿を観よう、と外に出た。
 そこで気がついた。慶雲館向かいの道路際に「糸魚川-静岡構造線断層露頭」の案内掲示がある。すると早川は、その断層帯の脆い岩帯を削った渓谷なのだ。


部屋の窓から観る崖面の地層はグシャグシャ
 糸魚川-静岡構造線断層露頭を探して、北の方に10分ほど歩いたが、木が茂っているせいか、よく分からない。しかし後で部屋に戻って、あらためて窓の外の早川の対岸を観ると、露頭となった地層がグシャグシャになっている(写真)。かつて岩をも砕く大きな力が働いたことが見て取れる。


グシャグシャになった地層と早川渓谷

グシャグシャになった地層

 熊本地震などでよく誤解されるが、糸魚川-静岡構造線断層は断層の集合だが、活断層ではないと見られている。だから、数十年内にここで断層が動くわけではない。
 余談だが、そもそも現在の地震学で、どこの活断層が危ないかなど予測できない。様々なファクター(未知数)でつくられた複雑な高次方程式のようなものだから、あれこれ心配しても仕方がない、と僕は思っている。


日本一人口の少ない町の早川町
 吊り橋は、頑丈そうだが、1度に乗れるのは5人まで、と注意書きがあった(写真)。


吊り橋

 渡りきると、道らしきものが見当たらない。わずかに踏み分け道らしいものが確認できるだけだ(写真下の上=吊り橋から慶雲館を見る;写真下の下=吊り橋を渡る人、宿泊者か)。


吊り橋から慶雲館を観る

吊り橋を渡る人

 昨日のバスのガイドさんが、早川町は、日本一、人口の少ない町だ、と言っていた。調べると、今年2月現在で人口は1062人しかいない。広域に40前後の集落が散在する。ずいぶんと過疎地である。
 吊り橋から戻り、早川上流に向けて歩く。宿から下駄を借りてきて履いているので、慣れずに歩きづらい。
 下に早川の濁流を見ながら行くと、崖上に「望月○○君遭難之地」の石柱が立っている。大雨の日か、あるいは遊んでいて、ここから早川に転落したに違いない。早川には、直径数メートルもある大岩も転がっているし、固い岩盤も露頭している。落ちたらひとたまりもないだろう。


まさに秘湯
 そしてさらに上流に向かうと、道と崖端にわずかに広がる地に墓が何基か設けられていた。見ると、すべて望月家の墓である。早川町の町民の4割は、「望月」姓だというから、ほとんど近親者ばかりの町なのだろう。
 結局、糸魚川-静岡構造線断層の露頭は見つからなかった。崖ぎりぎりに見ていけば分かったのかもしれないが、少し危険すぎた。
 慶雲館に戻って観察すると、ここ西山温泉峡には、他に2軒、温泉宿があるが、1軒は廃業で廃屋となり、もう1軒は明かりがついているが、ほんの一角だけで他はゴーストタウンのようになっている。慶雲館だけが営業しているようだった。
(この項、続く)


昨年の今日の日記:「バルト3国紀行13:早朝のカウナス散歩は聖ミカエル教会目指す;紀行 追記 被爆地訪問求める日本提案文書に中国の横やり」